思いつきそうで思いつかなかった簡単にできる粋なこと

あなたのダイバーシティを価値に変えるヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスのホームページにようこそ。

ヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスは何をする?–> こちらをご覧ください。

ヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスとは誰?–> こちらをご覧ください

*****************************

【思いつきそうで思いつかなかった簡単にできる粋なこと】

なんと、参加者名簿が1日速くメールで届いた。明日の英国ースイス商工会のランチョン。

「皆様のネットワーキングがスイスイ進みますように1日早くお届けします」だって。

うーん、さすが英国、実用的なことに優れている。

 

*****************************

ヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスはヨーロッパで執筆や取材を致します。–> こちらをご覧ください。

お問い合わせはこちらからどうぞ。

広告

日本がボクを苦しみの底から立ち上がらせたースイスのある青年 (1)

あなたの外国とのコミュニケーションのズレを直し、価値に変えるヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスのホームページにようこそ。

ヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスは何をする?–> こちらをご覧ください。

ヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスとは誰?–> こちらをご覧ください。

********************************

【あなたの「大好き」は何ですか?】

「自分はこれが大好き!」という生き方を通じて苦しみの底から立ち上がった青年がいます。

スイスの若者ラユンさんにとって、その「大好き」は日本のマンガやアニメでしたーーと、それだけなら驚くことはないかも知れません。けれども、ここまでどん底もそこからの這い上がり方も徹底している人は少ないと思います。

あなたの「大好き」は何ですか?

========

「オタク?興味ない。自分はそういう人とは友達になれそうもないから。」

私はそう思っていた。

ラユン・ヒューリマンさんに会って、私は自分のモノの見方が狭かったと知った。(写真ラユンさん)

%e5%86%99%e7%9c%9f%ef%bc%93%e3%80%80%e3%83%a9%e3%83%a6%e3%83%b3%e3%81%95%e3%82%93
ラユンさん(写真提供も)

ラユンさんは、チューリヒの公共交通局で働く、25歳の若者だ。

ラユンさんは、「日本は自分の人生を変えた」という。

彼のフェースブックの自己紹介は彼が日本語で書いたものだ。

「オタク文化の喜びを共有する事に情熱を注ぎ、ファンに日本文化を促進するために、イベント組織と共に活動しています。」

ラユンさんは、スイスのどこにでもいそうな好青年だ。日本で言うオタクという言葉にまつわる、漫画や昆虫など、何か一つのことに夢中になるあまり、引っ込み思案な性格とか、ちょっと変わっているというイメージは、彼にはない。

その彼が、自分はオタク、という。

え?なぜオタク?そもそも、なぜ日本に関心が向いたの?

私は、興味のかたまりになった。

%e3%83%a9%e3%83%a6%e3%83%b3%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ae%e4%bd%8f%e3%81%be%e3%81%84
ラユンさんの住まい(写真提供 ラユンさん)

アニメから日本を知った。

ラユンさんが日本のアニメにのめり込んだのは、学校でいじめに遭い、苦しみ抜いた10代の終わりだった。

ラユンさんは性格の優しい人だ。スイスでは男の子は強い態度を見せないと、いじめに遭うという。彼は、いじめに耐えきれず16歳で学校を自主退学し、その後、進路を変えて職業学校に入学した。

しかし、そこでも再びいじめに遭うようになり、再び自主退学を余儀なくされた。17歳の時である。

二度の退学に、ラユンさんはすっかり自分に自信をなくした。毎日死にたいと思ったという。

遂に彼はあるクリニックに入院した。

やっと回復し始めた頃、彼は社会復帰を支援するプログラムに参加した。そこで出会った女の子が日本のアニメのファンだったことから、ラユンさんも子供の頃好きだったアニメを思い出し、再びのめり込んだ。

「どうして僕は、アニメを止めたんだ?」と思ったという。

スイスでは、ドイツのウェブサイトから、アニメを好きなだけ見ることができた(ラユンさんは、スイスのドイツ語圏の人だ)。そうして、アニメを通して日本に興味を持つようになり、日本についてもっと知りたくなった。

自分の大好きなものを見つけたラユンさんは、18歳になった時ハラが据わった。「自分の人生を創ろう、いじめに負けない自分になるぞ」と決心した。

彼は社会復帰を試みて、仕事探しを始める。二度の退学と入院歴のある若者に仕事はなかなか見つからなかった。180通の履歴書を送ったという。その中で、ただ一つ、スイス国鉄だけが、見習い社員として3年間働くオファーをくれた。(註:ここでいう「見習い社員」とは、スイス独特の教育制度の一部。職業学校に通いながら、週の大半は職場で働き、必要な技能を身につける。)

ハラを括った彼は、猛然と外国語の勉強を始めた。日本語、英語、フランス語を一度に学んだという。同時に、憧れの日本に行くお金を貯めた。

挫折を乗り越えてフクシマと出会った。

ようやくお金を貯めて日本行きの航空券を買った2011年、思わぬ災難に見舞われる。出発日は、東日本大震災の二週間後だったのだ。フライトはキャンセルとなり、初めての日本行きの夢は潰えた。ラユンさんはこれ以上ないほど、がっかりしたという。

けれども、彼はくじけなかった。そういう自分をなんとかしようと思った。そして、つらさに真正面から向き合った。

丁度、職業学校の卒業研究のテーマを選ぶ時期に来ていた。ラユンさんは、「フクシマの復興」をテーマに選んだ。学校の性格上、本来なら経済や産業に関するテーマでなければならなかった。けれども先生に相談すると、やってみなさいと励まされた。

ラユンさんは、英語と日本語で資料を集め、研究レポートを書いた。それは最優秀作品に選ばれた。

「小学生時代、ゲームばかりしてちっとも勉強しなかった僕ですが、優秀な成績でその職業学校を卒業しました。」と彼は言う。

更に自信を得たラユンさんは、「自分はもっとできる。」と思った。そうして、再び日本行きを志した。

2011年12月、ラユンさんは、遂に日本行きを果たす。真っ先に訪れたのは仙台、そして福島だった。その計画に両親は大反対したが、自分はあなた(福島の被災した人々)のことを考えているということを、行動で示したかったという。

福島では、原発被害による立ち入り禁止区域から2キロの場所まで行ってみた。涙が止まらなくて、2時間だけそこにいて東京に戻った。

彼は今でも日本に行くと必ずお見舞いの品を持って福島の被災地を訪れ人々を励ましている。

%e7%a6%8f%e5%b3%b6%e3%81%ae%e3%83%a9%e3%83%a6%e3%83%b3%e3%81%95%e3%82%93
福島の被災地を訪れたラユンさん(写真提供 ラユンさん)

ラユンさんにとってのオタクとは

ラユンさんは、アニメをきっかけに、オタクを知った。学生時代にスイスの“漫画フォーラム“で知り合ったアニメ好きの友人が、「オタク」といわれる人々のいることを教えてくれたのだ。

ラユンさんにとってオタクとは、「自分が情熱を傾ける“何か”に対し誇りを持つ人々」と映った。彼はそこに、アニメを好きになることで本来の自分にコネクトし、立ち直った自分と同じものを感じた。

そんなラユンさんだから、初の日本旅行では、仙台、福島の後に東京コミックマーケット(コミケ)を訪問した。(註:東京コミックマーケットは、世界最大の同人誌即売会。例年8月と12月に開催される。漫画、アニメ、ゲームを始め、現代日本の様々なポップカルチャーが一堂に集う場となっている。ウィキペディアより抜粋。https://ja.wikipedia.org/wiki/コミックマーケット

以来、彼は何度も日本を訪問し、オタクの同好の士と友人になり、コミケの常連となった。日本に行くたびにアニメに題材をとったポスターや、タオル、枕など色々な“グッズ”を買い、自分の部屋をアニメだらけにした。それを写真に撮ってウェブサイトに載せたら、いつの間にか「スイスのオタク」として、日本のオタクの間で有名になっていた。

%e3%83%a9%e3%83%a6%e3%83%b3%e3%81%95%e3%82%93%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%ac%e3%82%af%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%b3
ラユンさんのコレクション(写真提供 ラユンさん)

ラユンさんはオタクをどう考えているか、ここで彼の言葉を引用しよう。

「僕はオタク人生を楽しんでいます。オタクとは、自分の大好きなことを持っている人のことです。僕は日本のアニメのイラストが好き。そこにイラストレータのパッションを感じます。技術もアートセンスも素晴らしい!」

「僕は、日本で『スイスのオタク』、『美少女ゲームをするスイス人』として有名になり、オタクたちのチャットにも登場するようになった。

やがて彼らは、僕を日本のオタクと比べるようになりました。

けれども、そういうことは、僕は嫌いです。それは、他人を自分の価値で判断することだからです。

僕はレッテルを貼られるのはいやです。

自分の好きなことを好きでいるのは、何も悪くない。そのままの自分でれば良いんです(Be yourself)。そう思ったとき、『よし、僕は日本のオタク文化を変えよう。』と決心しました。」

僕のしたいこと

そんなラユンさんだが、日本社会でオタクは必ずしも良く思われていないことを知っている。偏見にも気づいている。

彼自身、日本のオタクは自分の良いと思うことをやり過ぎる、と感じることがある。キモイ格好で秋葉原を練り歩くなど、これはどうかという行動をとるオタクもいる。彼、彼女たちは他のオタクや一般の人々の注意を惹きたいのだろうが、それもまた、他の人に自分の価値を押しつけていることになっていないかと思う。

だが、ラユンさんは、時にはそういう奇異な行動をとるオタクの内心もまた感じ取っている。日本のオタクは、人を、社会を、現実の女の子たちを恐がっているんじゃないだろうか、と。彼らは孤独なのだ。

ラユンさんは、それを変えたい。彼らが、自分の値打ちを自分で受け入れ、認められるようになるようになって欲しいと思う。

再びラユンさんの言葉を借りよう。

「僕はオタクである喜び、つまり、何か大好きなことがあるという生き方を通じて、日本の人達を力づけたいと思います。自分の価値を自分で認められるようになって欲しい。小さくなる必要は無いと気づいて欲しいのです。」

ラユンさんは、その気持ちをすぐに行動に移した。彼はツイッターなどSNSで毎日自分を語っている。彼は「自分はこうだ、こう思う」と語るが、他の人に自分のようにしなさいとは言わない。

ラユンさんは、自分は新しいオタクのモデル(ありかた)だと思っている。ツイッターで「スイス大使ラユン」と自分を名乗るのはそのためだ。

ラユンさんにとり、日本人は、オタクを通じて、なにか大好きなことを持っていることの喜びを教えてくれた人達だった。彼はその喜びを他の人達にも分かって欲しいと思う。その為に、日々行動している。人や社会に文句を言うだけでは物事は変わらない。行動すること、自分に出来ることだけで良いからーー彼はそう考える。

 「自分の夢を大事にして、自分の歩いてきた道を大事にして、諦めないでください。」というメッセージで、ラユンさんは話しを結んだ。

********************************

関連したテーマのブログ→

ヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスは執筆や取材を致します。–> こちらをご覧ください。

お問い合わせはこちらからどうぞ。

欧州で自分の考える正しさを語るとは?ースイス国鉄での経験から学んだこと

あなたの外国とのコミュニケーションのズレを直し、価値に変えるヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスのホームページにようこそ。

ヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスは何をする?–> こちらをご覧ください。

ヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスとは誰?–> こちらをご覧ください。

********************************

【英語の勉強をしてるけれど話せない、と悩む方へ】
自分の考えを相手に説明すること、小さな疑問でも聞いてみることを習慣にすると、あなたは飛躍的に外国語で話ができるようになります。ではそれはどういうこと?ーーそれは例えばこんな風に日常生活の場面に表れるんです。

========

スイス国鉄に手紙を書いて投函したのは月曜日。

金曜日には返事と共にこんなカードが届いた(写真)。32フランの金券だ(約3200円)。

img_3395

ああ、この労力が無駄になってもいいからとハラを決めて手紙を書いて良かった、と思った。

そして、これがヨーロッパなんだ、とも。

なぜこのカードが送られることになったんでしょう?こんなわけがあるのだ。

ある日のこと、私は夕方始まる会合のためにチューリヒに行った。チューリヒまでジュネーブからは乗り換え無しの列車で3時間弱の距離だ。

ところが会合の帰り道、最終の直行列車に乗り遅れた。

仕方ない、時間は長くかかるが、一本後のベルンで乗り換える列車に乗ればいい。ジュネーブに着く頃には、まだ帰宅するためのトラムは走っている。私は大して心配もしなかった。

ところが、その日に限って私の乗ったチューリヒ発ベルン行きの列車はベルンの手前で止まってしまった。スイスの冬の午後10時過ぎは真っ暗だ。その暗闇の中、どこにいるかもわからない。その間20分間ぐらいだった。

その20分間のおかげで、私はジュネーブに行く接続の列車に乗れなかった。

原因はわからない。車内アナウンスがガランとした車内に流れたが、ドイツ語だけだったので私にはわからなかった。スイス国鉄には珍しいことっだ。この国の列車では、たいてい仏独英語の三カ国語で放送があるのに。

私は、近くの乗客に「今なんて言ったんですか?」と尋ねるようと思ったが止めた。乗るはずだったジュネーブ行きに乗れないことは明らかだ。列車も動き始めた。今更理由がわかたっところで、私の助けにはならないと思ったのだ。

ベルン駅で待つこと30分、午後10時半を過ぎた駅はがらんとしていて寒かった。ジュネーブ方向に向かう列車に乗ったのは11時過ぎ。今度はちゃんと帰れると思うとホッとしたが、さすがに疲れもした。その列車は途中のローザンヌまでで終点になる。私はそこでもう一度乗り換えてジュネーブに行かなければならないからだ。

でもまあいいか、家には帰れる。

スマホで時刻表を調べると、私の家に向かうトラムの最終には間に合わないことがわかった。駅からタクシーを使わなければならない。

でもまあいいか、ジュネーブ駅前にはタクシーが待っている。

しかしジュネーブのタクシー代は世界一高い(と私は思う)。なぜ私はタクシー代を払わなければいけないのか?こうなったのはチューリヒ発ベルン行きの列車が遅れたからだ。そう思うと、これはスイス国鉄にタクシー代を賠償して貰わなければならないと思えた。

そこに車掌が検札に来た。

彼に事情を話し。誰宛に手紙を書けばいいか尋ねると、スイス国鉄はタクシー代を賠償しないという。

「それはいいから、私はスイス国鉄にこの件で手紙を書きたいんです。誰に宛てて書けばいいですか?」もうその時には私もカッカしていたから迫力があったんじゃないだろうか?

車掌は、カスタマーサービス(顧客係)の住所を書いた名刺大のカードをくれた。

私はジュネーブからタクシーに乗った。最終のトラムはとっくに出た後だった。タクシー代は32フラン(約3200円)。領収証を貰っておいた。

実際私は迷った。手紙を書くだけ無駄じゃないだろうかと。車掌に「賠償しません」と言われていたからだ。

けれども、やっぱりハラが納まらない。自分がスッキリするために事情を説明する手紙を書き、「、、、という理由ですから私はスイス国鉄にタクシー代32フラン分を請求いたします。同封の領収証を御参照してください。」と結んだ。

それが、意外や意外、4日後には冒頭のカードが私に送られてきたというわけだ。

それだけではない。スイス国鉄からの手紙には、タクシー代を弁償するだけでなく、「列車が遅れホテルに泊まらざるを得なくなった場合には、ホテル代も弁償します」と書いてあった。

他の国だったらどうなるんだろう、こういう場合?

スイスの人は真正直だなあと思うのはこういうときだ。私はタクシー代の件で手紙を書いたのだ。その返事に、ホテル代のことまで教えてくれるとは。黙っていても良さそうなものなのに。

あの深夜の列車で車掌に手紙を書いても無駄だよと言われても、諦めなくて良かった。理を分けて話せばわかる人達がいるんだと思った。

人は皆、それぞれなりの正しさを持っている。10人の人がいれば10通りの正しさがある。

あの車掌の言ったことも彼なりの正しさだったんだろうと思う。

そして、私には私なりの正しさがあった。

私は、自分なりの正しさをスイス国鉄に説明した。スイス国鉄には賠償のルールがあるのだろうが、それを掘り当てたのは私が手紙を書いたからだ。

うーーん、これがヨーロッパなんだと思うのだ。自分なりの正しさを主張できるところ。結果はともかく、言ってみることができるところ。

今でこそ私はこんな知った風なことを書いているけれど、この文化に慣れるまで20年かかった。今でも、欧州人の友人たちを見ていて、「そこまで言ってみるの?」と思うことがままある。そういう私はヨーロッパでは主張の少ない人、温和しい人なんだろうと思う。

それでもいい。納得できないことがあったら、「私はこういう理由で、こう思います」と言えるところ、むしろ互いにそう言い合って成り立っている社会。それが言い争いではなく、淡々と互いに自分の考えることを語り合える社会。それがヨーロッパだと思う。もちろん、そこには良いところも不便なところもあるが、このカードが封筒から出てきたときは、「言って良かった」と思ったのだった。

********************************

関連したテーマのブログ→

ヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスは世界に通用するあなたのコミュニケーション力を伸ばすサポートを致します。–> こちらをご覧ください。

お問い合わせはこちらからどうぞ。

隠れたダイバーシティ大国スイス

スイスというと、日本では、時計、チョコレートとアルプスがよく知られている。しかし、この国が実は隠れたダイバーシティ大国であることは、案外見落とされているのではないだろうか。

スイスには正式な国名が四つある。そこからもうかがわれるように、スイスは文化の多様性の大変豊かな国だ。そしてここには、このようなダイバーシティをリソースとして活用する仕組みがある。

1.スイスのダイバーシティは国の誕生から

スイスの国土面積は41.3 km2、これは九州(35.6 km2)より一回り広い程度だ。その中に国が26あると言ったら、読者はそんな姿をご想像できるだろうか?26の共和国(州)の参加する連邦、それがスイスだ。

こういう国だから、日本では考えられないことがいろいろ起きる。例えば義務教育。これは各州の権限だ。その結果、義務教育の期間や、学校のカリキュラムという基本的なことが州によりまちまちとなる。連邦全体を通して共通の制度が無いのだ。

このような国家ができた理由には歴史的な背景がある。

スイスには、歴史を通じて終始、領主に支配されない自由民の集まりとして存在してきた。まず13世紀末、自由民の集まりである盟約者団と呼ばれる人々がスイス中央部に成立した。その後、盟約者団の地域を核に、隣接する自治共和国(現在の州)が自由意志で参加を続け、結果として今のスイスとなる地域を拡げて行った。

その途上では、宗教改革、ナポレオンによる征服など、スイスも歴史の荒波を何度も被った。それでも盟約者団に参加する自治共和国の数は増え続け、19世紀中頃に現在の連邦制度の基礎が成立するに至ったのである。

このように歴史を通じて自治権を持つ共和国が緩やかに繋がって成り立つ連邦として成長してきたスイスだが、その根本精神は今も変わっていない。スイスのダイバーシティは、国の成り立ちと不可分なのである。

2.国境も国籍も”柔らかい”社会

スイスは外国との関係もまた、緩い繋がりを巧みに保っている。ここに住むと、国境は柔らかいと、しばしば感じられるほどだ。

例えばジュネーブは、その州境の80%がフランスと接している。残りの20%で、スイスと繋がっているにすぎない。いわば、ジュネーブはフランス領内に突きだした半島のような地域だ。

そのジュネーブは、周辺のフランス領内をも含めた経済圏の中心地でもある。高速道路の入り口や国際空港付近には工業団地があるが、そこには有名な高級時計メーカなど雇用力のある企業が立地している。

そこには、フランスの隣接地域から国境を通過して通勤通学する人々が日々7万人いる。その数は毎年4−5%づつ増加し、今では10年前の約2倍となった。

写真1 越境通勤者の列
国境を通過する、フランスからの通勤者の車の列

このような越境通勤者はジュネーブ州全体の就労者の約4分の1を占める。つまり、外国人の労働力があるからこそ、ジュネーブの経済は成り立っていると言える。

国籍もまた柔らかい。ジュネーブの人口の約60%は外国人、またはスイス人でない両親から生まれた人々である。しかもスイスは重国籍を認めている。例えば、スイス人の母親とフランス人の父親を持つ子供にはスイス国籍が与えられるが、その子供は同時にフランス国籍を持つことができる。そういう人が大勢いる社会では、「あなたは何人ですか?」という質問は余り意味を持たない。

写真2 クラスメートたち
クラスは皆スイス人

3.ダイバーシティを支える合理的な行政

このような大量の外国人労働者は、越境労働許可証を持つ必要がある。その申請は、雇用者の義務である。ジュネーブの場合、人口50万人弱の州に、膨大な数のビザ発行の行政事務の負担がかかると思いきや、これが大変簡単で確実にできている。

越境労働者を雇う会社は、ビザの申請用紙を州政府のウェブサイトからダウンロードする。そこに必要事項を書き込むのだが、同じ用紙で当人の給料も申告するようになっている。次にその会社は州の銀行口座にビザ発行手数料を払い込み、その証明書を得る。最後に、それらの書類と申請する本人のパスポートコピーを同封し、州の移民局宛てに郵送する。

郵送したその日から、ビザは有効となる。つまり、越境通勤の社員は、その会社で合法的に働ける。一方、ビザ自体は、数週間後に雇用者宛に送られてくる。

この方法の優れたところは、ジュネーブ州は越境労働者の把握と共に、彼らから税金もまた確実に徴収することができる点だ。スイスでは、税額は国民の自己申告により決まるが、越境通勤者の税金だけは給料から天引きされ、雇用者を通じて州政府に支払われる。越境通勤ビザ申請の書類に給料が記入されるので、州政府は外国に住みながらスイスで働く人々から確実に税金を徴収することができる。

こういう簡素でありながら合理的な行政の仕組みが、外国人の就労を容易にしているのだ。

4.日本企業にとっての利益

ダイバーシティ豊かな社会は、日本企業にとっても利益が大きい。

まず、そういう社会は、他所から来た者にとり、入り易い。スイスでは日本企業も外国企業扱いされない。オフィスを借りるにも、地元の商工会に参加するにも、外国企業という理由で別扱いされることはない。

異文化に対し寛容な気風はまた、現地の人材採用を容易にしている。外国企業に対して求職者に抵抗感がないのだ。

また言語資源も豊かである。人々は小学校から母語以外の言語を学んでいるため、2-3の言語を話す人は珍しくない。そのため、いくつかの言語に堪能で、かつ、業務に必要な資格、経験を持つ人を採用することができる。このような語学能力は、欧州でビジネスを展開する際には必須だ。単一言語地域である北米と違い、欧州には言語が多数あるからだ。

外国人に寛容なスイスには、大学などの研究機関に世界中から優秀な研究者が集まる。受け入れる方もスイス人だけで研究開発を担おうとは考えていないのだ。そのうえ、政府が産学連携を奨励しているため、主立った工科大学には、キャンパス内にも企業のオフィスがある。その中には日本企業もある。

日本に移り住む外国出身者はこれからも増える一方だろう。そのような人々を受け入れ、文化の違いを資源としてその人々を社会に生かし、日本人と共に生きる知恵を育てていく時に、スイスのこのような地に足の着いたダイバーシティを支える仕組みは、日本にとっても参考になるに違いない。

この原稿は、「特集 ダイバーシティの活用と促進」、グローバル経営 2016年7/8月合併号、PP14-15、一般社団法人 日本在外企業協会発行、に掲載されたものを、編集部のご許可を得てこちらに転載しています。

掲載稿はこちら→  2016_07 スイスのダイバーシティ

言葉は贈り物ー国際会議こぼれ話

あなたの職場の多様性を価値とちからに変えるヨーロッパ・ジャパン ダイナミクス!わたしたちのホームページにようこそ。

ヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスは何をする?–> こちらをご覧ください。

ヨーロッパ・ジャパン ダイナミクスとは誰?–> こちらをご覧ください

***************************

【今私がそれをいわなくても、と思ってませんか?伝えなければ伝わらないんです。】

その時、オバムさんは真っ黒い顔をくしゃくしゃにした。心から嬉しそうな表情、そこには安堵もまた混じっていた。

先週、私はある国連関係の国際会議に出ていた。日本代表団のために議事録を書くのが仕事だった。

オバムさんは、その議長を務めていた。

決して易々とは行かない数々の議題、一筋縄では行かない、会議のベテランたち。

四日間の会期中、オバムさんはいつも冷静で忍耐強く、謙虚で、どの人の意見も尊重しながらも、テキパキと議事を捌いていった。時にはユーモアを交えながら。

この人は素晴らしい!とおもった。

最終日、すべての討議項目を終え、会議が閉会したとき、私はオバムさんに感謝したかった。こういう会議の常で、最後に会場の参加者は議長の労をねぎらって拍手をした。だから、その拍手の中で私も議長に感謝していたんだけれど、それだけで終わらせたくなかった。私は、自分の気持ちを彼に伝えたかった。

会議が終わり、人々が退場しかけた頃、オバムさんは全ての仕事を終えて議長席から降りてきた。彼の廻りには誰もいなかった。

チャンス!

私は迷わず彼に近づいて行った。

「ミスター・オバム、あなたの素晴らしいチェアマンシップをお祝いさせてください。私は、かれこれ20年近くこの組織の会議に出ていますが、あなたはその中で私の出会った最も素晴らしい議長の一人です。」

その時だ、彼が顔をくしゃくしゃにしたのは。

彼のその顔を見た瞬間、「あ、言葉は贈り物なんだ!」と気づいた。

そしてまた、安堵が彼の顔に走ったのを見て思った。

彼に面と向かってその仕事ぶりを褒める人は、なかなかいないんだろうなと。

彼だって、自分が議長として良い仕事をしていたかどうか、会議に出ていた人の評価は気になるだろう。

思い切って、オバムさんにお礼を言いに行って良かった。

気持ちを伝えに行って良かった。

オバムさんは、私からの贈り物を受け取ってくれた。

表現して、良かった!

自分の気持ちは、伝えなければ伝わらないんだ!

ITU会議場
国際会議場, ITU(国際電気通信連合)

***************************

文化の違いを価値に変えて仕事ができるようになる研修プログラムを御提供しています 詳しくはこちらをご覧ください。

お問い合わせはこちらからどうぞ。

20年かかってわかった国際社会で生きるための力とは? –欧州の経験から

 私もお人好しの日本人だった。

「なぜもっと早く昇進したいと言いに来なかったの?会社は今年は減収なので、全社的に昇進を止めているの。」

上司からそう言われた時、それは、自分がこの期に及んでもどれだけお人好しの日本人なのか、後悔と痛みを伴って分かった瞬間だった。私がヨーロッパで仕事を始めてから20年以上が経っていた。

ここで私の経歴について、少しお話ししよう。

私は生まれも育ちも日本である。日本ではNTTに約10年間勤務した。その後、1989年に経済協力開発機構(OECD)にポストを得、東京からパリに移った。当時OECDの日本人職員の大半は官庁からの出向だったが、私は公募だった。

以来四半世紀以上の間、いろいろな山坂を超えながら、私は欧州大陸で仕事をしてきた。OECDの後、多国籍企業に転職し、国際関係担当マネジャーとして世界各地で開かれる会議に出席した時期もあれば、終身雇用の無い外国のこと、失業して不安な日々を過ごしたこともあった。

振りかえると私は、仕事でも私生活でも、一個人として欧州とヨツに組んできたのだ。日本の組織の一員としてでなく。

現在日本には、国際社会で仕事をしたいと思われる方や、そのような人材を育成する方々が大勢おられる。そのような方々に、私の経験とそこから身につけてきた「グローバル力」ともいうべき力とは何かをお話しし、御参考にしていただければと思う。

写真1 モンブラン橋、ジュネーブ
モンブラン橋、ジュネーブ(撮影 筆者)

冒頭のエピソードに話しを戻そう。

この経験は、ジュネーブに本社を置く、ある多国籍企業に勤務して10年以上経った時のことである。

私は本当にお人好しだった。もともと日本を出たのは自分の意志である。それ以来、国際機関や多国籍企業で100を優に越える国籍の人々と仕事をしてきたというのに、私は芯から日本人だったのだ。「良い仕事をしていれば、きっと誰かが見ていてくれる、そういう私に報いてくれる」、私は無意識のうちにそう思っていたに違いない。それは日本人なら大半の人が思うことでもあるだろう。

頭では分かっていた。国際機関でも、その後に移った多国籍企業でも、定期的な人事異動や昇進、定期昇給などは無かった。昇進も昇給も、自分から仕掛けていかなければならない。「自分はABCの仕事を手がけ、XYZという成果を出した。だから、昇進させて欲しい、昇給すべきだ。」そのように言って、上司と話し合わなければならない。そういう議論をすることは、上司との交渉でもなければ、ましてや攻撃ではない。当たり前の話し合いなのだ。

私にはそれができなかった。昇進していく同僚たちを身近に見ていたのに、自分の昇進を自分から上司に話しに行こうという発想さえ、私にはなかった。良い仕事をしていれば、きっと昇進が向こうからやってくると思っていたのだ。

思い込みに気づく必要

日本の常識は、外国での常識ではない。頭では誰もがそう分かっている。ところが、現実にはいつのまにか、誰もが自分に染みついた価値観の通り行動してしまっている。ここに異文化社会で生きる際の落とし穴がある。

日本人だけではない。人は誰もが何らかの文化的背景、価値観を持って生きている。そのため、文化の違う社会で生きる人間はどうしても、多かれ少なかれ同様の落とし穴を経験するものだ。

ただ、日本人だからこそ充分に注意し、少なくとも自分にはそういう落とし穴があるとあらかじめ覚悟しておくことは役に立つ。日本人のモノの考え方は、世界の中でも相当にユニークだからだ。そう思っておけば、外国で、または外国人と仕事をする中で「何かおかしいな?」ということに出会ったとき、なぜ自分はそう感じるのか、一歩下がって考える余裕が生まれる。それは自分が無意識のうちに思い込んでいる常識に照らして「ヘンだな」と思わせるのか、それとも別の原因があるのか、考えるきっかけになる。その点を意識するとしないとでは、異文化社会に適応する上で、大きな違いが出てくる。

 身につけるべきグローバル力

国際社会とは、外国に行って仕事する場合だけではない。国内で仕事をしていても、上司や部下、同僚に外国人、つまり自分と文化を異にする人々が登場するようになった。日本国内にも、国際社会が育ちつつあるのだ。

そういう時代に生きる皆様には、「グローバル力」を身につけていただきたいと思う。「グローバル力」とは、国際社会で普通に起きること、国際社会で仕事を進める上で基本になっている事柄である。

1.自分の意見を持つ力

他の人に言われたことや暗黙のルールを鵜呑みにせず、自分はどう考えるのか、一度自分の中に引き取って考え直す力。

2.自分の考えを主張する力

これがサラリとできるようになったら、しめたもの。

3.相手に、率直に質問する力

日本の外には、あうんの呼吸で通じるものは何もないと思ってよい。だからこそ、わからないことを質問する権利があなたにはある。質問は他者への攻撃ではなく、「あなたの話に関心を持っている」というサイン、一種の敬意でもあるのだ。

4.違う意見を持つ人と、建設的な対話をする力

異なる意見を持つ相手の、意見と人格とを混同せず、意見は意見として聴くこと。そうして、自分の意見も勘案し、課題のより良い解法を提案する力。

5.人を個人として見る力

国際社会では、自分の想像を絶するような意見の持ち主、文化的背景の持ち主に大勢出会う。そういう人々と建設的に仕事を進めるためには、相手を個人として捉えるよう心がけることが大事だ。相手に国籍、性別、宗教などのレッテルを貼ると、相手の意見を汲み取り損ねて、自分が損をする。

上記に挙げた「グローバル力」は、練習によってかなりの程度身につけることができる。また、日本国内でも実行できるものが多い。

「グローバル力」を身につけるためには、他流試合を繰り返すことだ。例えば、自主的に社外の人々との勉強会に行くなどである。その際、どんな集まりでも、最低3人の知らない人と話をすることをマイルールにすると良い。

小さな成功を積み重ねて行こう。それはきっと、国際ビジネスに生きる。

**********

新しいことを実行に移すとき、失敗はつきものだ。何かにチャレンジした結果の失敗を喜ぼう。失敗は学びの資源だからだ。そういう楽観性もまた、国際社会を生きる力だ。その力を育てるのは、未体験ゾーンに飛び込む勇気と、それを楽しむ好奇心だ。私はそのようなマインドセットをもつ日本人が増えることを期待している。

 

この原稿は、「PLAZA グローバル経営」、グローバル経営 2016年4月号、PP28-29、に掲載されたものを、編集部のご許可を得てこちらに転載しています。

掲載稿はこちら→ 2016_04_PLAZA

真の国際人の武器は言葉以前に好奇心という資質

グローバル・マネジャーという、国際人材養成を手がける会社の発行する、ウェブマガジンがあります。その最新号に、船川淳志さま(グローバル・インパクト代表)と私の対談記事が掲載されました。もしよろしかったら、どうぞ御笑覧くださいませ。
IMG_1594