価値観の違いを学んだ痛い経験ー国際交渉の現場から(5)

価値観が逆の世界を知る‐カナダ留学、トロント大学、1982年9月から1984年6月 —— その2

痛い経験

前回、カナダでは日本とは価値観が逆転することを沢山学んだと述べました。それを物語る、今でも忘れられないエピソードを一つ。

カナダに到着して一ヶ月、アパートも見つけ、大学生活にも習慣が生まれ始めた10月末のこと、思いがけないきっかけから、「たたかう(闘う)」ということを学びました。

暴力やいさかいのことではありません。他の人との間に何か問題が起きたとき、自分を前に、前に、押しだして、問題の解決を図るという、そういう生き方、人生に取り組む姿勢です。

事の起こりは、トロントで最初に住んだアパートで起きた停電でした。

私の借りたアパートは、古い大きな家の最上階。ふっくら大きなカーブを描いて下におりるマンサード屋根、それがそのまま天井の形になっていました。カナダに来たばかり、新参の私には、とてもロマンチックに見え、そんなアパートを見つけられて嬉しかった。家主は、その家の持ち主で、一人暮らしのおばあさんというのも、なんとなく良いと思いました。

それが大変な思い違いだとは、世間知らずのお目出度い外国人の私に、わかるはずもありませんでした。

10月も終わり頃になると、気候が変わって急に寒くなってきました。本格的な寒冷地で暮らしたことのない私には、とても寒く感じられ、これから冬に向かうと思うと、不安が募ってきました。

ところが、アパートの暖房は不十分なようです。ラジエーターを調べると、温度調節のためのノブがついていました。そこを捻って温度を上げたとき、停電が起きました。

家主のおばあさんに知らせると、彼女はえらい剣幕で怒ります。自分で勝手にノブをいじるなと。私は、謝りましたが、部屋が寒いので温度を上げるように頼みました。彼女は、まずブレイカーを元に戻し、それから私のアパートに上がってきて、ラジエーターを調整しました。

それでも室内の寒さは続きます。困った、困った、と友人に話すと、真冬の気温が零下20度台まで下がることが珍しくないカナダでは、アパートの暖房を適正温度に保つのは(何度が法定最低温度だったかは忘れたが)、大家の義務だと教えてくれました。

ある週末の夜、部屋がとても寒くなりました。わたしもいつまでも暖房の温度を上げてくれない大家のおばあさんに、腹を据えかねました。そして自己解決のため、ラジエーターのノブを捻りました。

再び停電!

階下に降りておばあさんの住むフロアのドアをノックするも、返事がない。彼女は家にいるはずだけど?!居留守を使っているに違いない。

私のアパートは真っ暗。どうしよう、、、。

その当時、トロントにたった一人、日本人の友人がいました。彼女に助けて!と電話しようと思いつきました。カナダ生活の長い、ようこさんなら助けてくれるだろう。きっと、自分の家においでと言ってくれるだろう、、。

真っ暗な中で、手探りで電話のダイヤルを回す。その頃の電話機は、ロータリー式、電話機の表面に円盤が着いていて、そこに1〜0までの数字に対応する穴が10個開いている、その穴に指を入れて円盤を廻す、あの昔の電話機です。私はと言えば、真っ暗で、ダイヤルの数字さえ見えません。仕方ないから、ダイヤルに沿って番号の穴を順に右回りに指で辿り、右端の穴を見つける。それが数字の1です。そこから、1,2,3,と数えて、各穴に対応する数字を知る。それを七回繰り返して、やっと、ようこさんの電話番号を廻し終えました。

電話に出たようこさん、「たたかいなさい」。

え?

「 警察を呼びなさい。冬に、アパートの店子のために暖房を入れないのは、カナダでは犯罪よ。」 「あなたは、外国人でカナダに来たばかり。カナダの様子がわからないときにこんなことになった。暖房が無い上、電気を止められ、私は困り抜いている。私は被害者と、警官に力説せよ。」

家においでどころか、警察を呼ぶんだってぇ?

けれども、私に驚き、あきれている余裕はありません。家は真っ暗、寒いうえに、外は夜。再び、ダイヤルを指で辿って、警察に電話しました。

駆けつけた警官に、私は、困り抜いている、被害者の新参外国人として訳を話しました。

後日、その家は出ました。こんないじわるばあさんの家に住んでいては、安心して勉強できない。

カナダ社会では、一人暮らしのおばあさんというものは、概して他人に対して警戒心が強い。だから、外国人の店子など嫌がるものだということも、後から知りました。

これが、日本とは価値観の逆転した外国に住むための、最初の試練でした。私がこの一件から学んだこと、それは、日本人がするように、へりくだって、自分から引いて、和解を求めていては、自分の問題を解決できない、ということです。解決はその逆方向にある。自分を押しだし、自分の意見を言い、自分の立場を主張せよ!

今、ヨーロッパに来て20余年。私は、そのほとんどの間を、日本社会からも、日本語からも、ましてや日本企業からも、離れて生きてきました。それでも、闘う、自分を前に、前に、押し出す力がまだ弱い、と、ことある毎に思います。今まで私の上司になった人々からは、「あなたはもっと自分の意見をハッキリ言いなさい」と言われてきました。日本で働いていた時には、「あなたはものをハッキリ言い過ぎる」と言われてきた私が、です。

自分を前に押し出せないのは、日本社会で生まれて育った私の中に、しっかり組み込まれた精神なのかなと思います。人は、その住む環境や、文化に適応して生きて行くものです。外国に住むということは、自分の変化するプロセスを生きることでもあります。ゆっくり変わりながら、それでも私は、ヨーロッパでは自己主張の弱い人、反対に日本では、それの強い人でい続けるんだろうな。

この記事は、ICBウェブサイトに連載されています。

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メールの運ぶ日本文化 — 欧州ICT社会読み説き術 (7)

ビジネスでは、Eメールは不可欠のコミュニケーション手段だ。今回は英語のビジネスメールを切り口に、日欧のコミュニケーションに潜む、意思疎通の擦れ違いを取り上げよう。

日本人が、英語でビジネスメールを書く場面は急速に増えているようだ。こういう現象は国際化への道のりだけれど、過渡期には苦労もあるのが世の常。英語でのビジネスに慣れていない世代の人々には、ご苦労も多いと思う。自分は国内ビジネスだけの会社だと思って入社した。それが20年経ってみたら、会社は外国企業との買収、提携に乗り出した。そのため自分にも、英語を使う社内メールや、社内会議は珍しくなくなってしまった、、という述懐が、ポロリとこぼれるのもうなづける。

それでも、日本人会社員は良くやっていると思う。英文のビジネスメールも、習うより慣れよ、が上達の秘訣なのだろう。

文は人なり、というが、文は文化なり、でもあると思う。欧州目線で見るとき、日本人の書く英文ビジネスメールには、日本文化が現れていることに気付くからだ。

例えば、「ノー(No)」の言い方である。

何かを否定する際、例えば断り状などで、日本語では「ノー」と直裁には言わない。それを言うときは、よくよくの強いノーを言う必要があるときだけだろう。

ノーをハッキリ言うことを避けるのは、日本の文化である。それは言葉の先にいる相手を傷つけないための、繊細な配慮なのだ。逆に言うと、相手に明快に「ノー」と言われると、日本人は傷つく。日本の「ノー」は、言った相手の人格まで否定しかねないほどの強い言葉だからだ。

そういう繊細さは、日本人の書く英文ビジネスメールにも、ごく自然に織り込まれている。メールを書く人は心をこめて、日本語人でない相手に英語で返事を書く。だからこそ、明快に「ノー」を言わないのだ。

これが日本語による、日本人同士のメールなら、それはりっぱな大人の教養である。

ところが、メールの相手が文化の違う人だと、勝手が違う。日本人とは違う思考回路を持つ人々にとり、「ノー」を明確に書かないメールはわかりにくい。そこに、小さいけれども、文化の根本的な違いが顔を出す。

最近、こんなことがあった。

欧州人のマリーさんは、東京出張を前に、彼女の会社の日本法人の鈴木さんに、同業B社の人で、鈴木さんもよく知る田中さんとのアポイントを頼んだ。実はマリーさん自身も、田中さんご本人を直接知っている。けれども、そこは異文化コミュニケーションをわきまえている彼女、敢えて日本法人の鈴木さんを通したのである。

アポイントの設定は、初めは問題なく行くかに見えた。ところが、鈴木さんとメールのやり取りをするうちに、マリーさんには、田中さんに会う日が火曜か水曜か、どうもはっきりしなくなってきた。そこで、マリーさんは、鈴木さんにメールを書いた。

以下のやりとりは、実際にはすべて英語で行われたものを、日本語に直してある。

マリー「親愛なる鈴木様、B社の田中様に、火曜日か水曜日、どちらの日がご都合がいいか、ご確認をお願いします。」

鈴木「マリー様、田中様には、アポイントのお願いをいたしました。田中様は、火曜日から水曜日までお忙しいそうです。」

マリーさんには、 鈴木さんの答えがイエスかノーか判らなかった。彼女はイエス、ノーをハッキリ言う欧州文化の人である。反面、日本人ほどには相手の内心を察する習慣が無い。相手の言いたいことを無言のうちに読み取って先回りするのではなく、相手の言葉を待って、自分の次の対応を決めるのが彼女の文化だ。

田中さんはお忙しい?では、今回は田中さんとはお会いできないのかしら?けれども、鈴木さんはアポイントをお願いしてあると言うし。それとも、先方は時間調整中で、その返事待ちかしら?

そこでマリーさんは一計を案じ、直接田中さんにメールを書いた。

マリー「親愛なる田中様、次回の日本出張の折には両日ともお忙しいため、お目にかかれないと伺いました。またの機会を楽しみにしております。」

こう書いて、田中さんからの返事が「はい、そうなんです。残念ですが今回は見送らせてください」なら、ノー、「いえいえ、私は水曜日に時間を作るようただいま社内で調整中です。すみませんが、2-3日お待ち下さい。」ならイエス、とわかるからだ。

ところが、翌日届いた田中さんの返事は、たった一言。

田中「マリー様、日本の春と、しゃぶしゃぶをお楽しみ下さい!」

鈴木さんと田中さんは、最後までマリーさんにノーと言わずに、ノーを判ってもらった。これは日本文化である。

英語を共通語にしていても、その書き手と読み手とで解釈の違うことは、異文化コミュニケーションにはよくあることだ。それは、どちらも、相手のメールを自分の文化の中で解釈するからである。ところが、やっかいなことに、人はその作業を全く無意識の裡にやってしまう。文化が人をつくるのだから、それは自然の成り行きだ。そのために、文化を共有しない読み手にとっては、「あれ?」ということが時々起きる。

たまにこんなことがあっても、マリーさん、鈴木さん、田中さんの3人は、気持ちの良い仕事仲間である。文化の違いは、国際ビジネスにはあって当たり前だ。それでも大丈夫、文化の違うお互いを受け入れようとする開かれた心を、めいめいが持っているならば。そういう気持ちが意思疎通の擦れ違いを柔らかく補いながら、徐々に互いの理解を深めて行くのだ。

掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2012年5月号

ICTでボランティア、 BOINC — 欧州ICT社会読み説き術 (5)

2011年の日本は、東日本大震災とそれに伴う原発の大事故により、歴史に残る年となった。石油を輸入に頼る国が、原子力にも頼れないと知り、しかも津波、猛暑、台風という自然災害の危険と共に経済発展を支えていかなければならないことを、再確認させられた。日本は、従来の経済、産業、生活の在り方すべてに、発想の転換をする時期にきている。

日本の変化のうねりは、遠くヨーロッパからも見て取れる。東日本大震災の後、日本の多くの人々は、「自分にできることをしよう」という気持ちを強く持つようになったようだ。「絆」が、昨年の国民的キーワードになったように。人が一人称でモノを考えるとき、変化が起きる。現に、日本にも被災者支援や、被災地復興のために、多数のボランティア活動が誕生している。

ICTを使う人々が、日本の為、もっと広く人類のために個人でできることをするとしたら、何があるかと考えたとき、BOINCが閃いた。

BOINCとはBerkeley Open Infrastructure for Network Computing(バークレー オープン インフラストラクチャ フォー ネットワーク コンピューティング)の略語である。日本語ページも充実してきているので、もっと深く知りたい読者には、こちらのリンクを紹介する。   (画面上部、BOINCのロゴのあるバーの中央に、言語選択機能があります。そこから日本語を選択。)

パソコンは、人が使わないときにはスクリーンセーバーが作動している。パソコンからすれば、人がキーボードに向かっていない時にも、スクリーンセーバーを動かすという演算処理を行なっているのだ。その演算処理能力を世界中から何千何万台分集めて、大きな計算をさせるのが、BOINCというソフトウェアのチカラと思って頂きたい。世界中にある膨大な数のパソコン、その力を何千何万台分集めると、スーパーコンピュータ(スパコン)を上回る演算能力となる。

一台のスパコンに膨大な量のデータを集めて複雑で大きな演算をさせるのではない。演算式を細分化し、無数のパソコンに送り込む。その結果として大きな仕事を達成する。発想の逆転である。

BOINCは現在、マラリア感染過程の解明や(スイス熱帯医学研究所)、天体の謎の解明など(カリフォルニア大)、人類に役立つ科学研究に多用されている。このような研究には、膨大な演算が必要になる。BOINCを使う科学者はその演算ジョブを細分化し、個々のボランティアたちのパソコンに送り込む。演算の結果は、その科学者の手元にあるサーバーにパソコンが送り返す。そのパソコンがまだ暇な場合は、更に次のジョブが送り込まれる、という具合。ボランティアたちのパソコンと科学者のサーバーを繋ぐのは、インターネットである。

このような、演算形態–ディストリビューテッド・コンピューティング—自体は新しくない。現在も、一つの企業内や、共同研究を行う研究所間といった、あらかじめ決まった、閉じた集団の中で多用されている。だが、BOINCの画期的なところは、自分のパソコンを使ってもいいよという無数の市民ボランティアを、科学研究の為に広く巻き込んでいるところだ。BOINCが、ボランティア・コンピューティングとか、シチズン・コンピューティングと呼ばれる所以だ。「科学を市民の手に!」である。

このような仕組みを持つBOINCには、社会的にも革命的な意義がある。それは、コンピュータ利用の平等化である。

今まで、科学者や、研究機関はスパコンを利用したければ、高額なお金を払って自ら購入するか、またはそれを持つ他の機関に借りるほか無かった。ここに、いやおうなく、持つものと持たざるものとの間に、何らかの差の生じたたことは、想像に難くない。

ところが、BOINCを使うと、誰でもが低コストでスパコン同様の機能が利用できる。BOINCソフトは無料でダウンロードできるし、パソコンの演算能力はボランティアが無料で提供してくれる。つまり、研究予算の乏しい発展途上国の科学者や、研究所内のルールにより、スパコンをおいそれとは使えない研究者たちが、自分たちのスパコンを手にするようなものなのだ。

パソコンの持ち主である市民ボランティアにとっては、BOINCは時間もお金もかからない社会貢献となる。自分が何もしないときに、パソコンが働いてくれるのだから。

BOINCに参加する人々には、様々な動機がある。筆者の調査したマラリアプロジェクトの場合、技術が好き、医学の進歩に関心がある、という理由の他に、自分の体験からマラリア患者とその家族の苦しみがわかるから、という動機で参加した人も多かった。

パソコンが自動的に実際のボランティア活動をしてくれるものの、パソコンを提供する人たちは、決してコンピュータ オタクではない。前述の調査から、彼、彼女らは、 BOINCに参加した動機は違っても、同じクラブに入った者同士、横の繋がりを求めていることがわかった。これは、人が実際に行う通常のボランティア活動と同じではないか。BOINC参加がきっかけになって、ボランティアたちがリアル世界でも気持ちの通じる仲間を増やしていって欲しいと思う。

掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2012年3月号

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機能するCSRとは? テレフォニカ — 欧州ICT社会読み説き術 (3)

最近、ファイナンシャルタイムス紙は、テレフォニカ(スペイン)が、ヨーロッパの新進ICTビジネスに資金を提供することになったと報じた。大きな記事ではない。それがパッと私の目に止まったのは、テレフォニカは以前から、ちょっと気になる会社だったからである。

テレフォニカ( Telefónica)は、日本のNTTグループに当たる、スペイン最大の総合情報通信企業である。1924年にアメリカ資本の民営会社として設立され、一時の国有化を経て、1999年に再び完全な私企業になった。

テレフォニカは世界的な大企業であると共に、国際企業でもある。

同社は、2000年代初めからは、世界各地の通信市場自由化を追い風に、欧州5カ国、中南米14カ国の電話会社に投資するなど、世界的に広く事業展開を行なってきた。その結果、今年10月現在でスペイン国外からの収入が会社全体の約70%に上るが、この数値は 世界的に携帯電話事業を展開するボーダフォン(イギリス)に次いで、世界二位である。

グループ企業全体の加入者数は約二億9000万で、この数はチャイナユニコムに次ぎ世界五位、社員は27万人、2010年には607億ユーロ(6.4兆円)の経常収入があったがこれは、情報津新企業の中で世界五位に相当する。参考までに、NTTは二位、NTTドコモは九位)。

私がテレフォニカに注目するようになったのは、この会社がCSR(企業の社会責任)を経営の根本思想に据え、CSRの考え方をあらゆる企業活動に組み込む仕組みを持ち、それが現実に機能していると知って以来である。今やCSRレポートを発行しない大手のICT企業は無い。しかし、CSRを企業倫理コードに裏打ちされた、プロセス・リエンジニアリング(業務遂行手順の見直しと刷新)の規範と位置づけている点で、テレフォニカは注目に値する。

同社は10年近く前から、CSRを戦略にした経営を進めてきた。その間、一貫してCSRという考え方の社内への浸透を推し進めてきたリーダーが変わっていないのは強みである。

同社のCSRは、初期はリスクマネジメントとして始まった。正しい行ないをする会社は、安定して成長を続ける、従って株主の評価も高い、ということは、ダウジョーンズ社のサステイナビリティ指標(DJSI)でテレフォニカが常にトップを占めていることからも証明されている。

テレフォニカのCSRは社外PRのためではない。新ビジネス、新サービス開発に深く結びついている。例えば同社は、社外ステークホルダーとテレフォニカの社員とが同じテーブルに就き、互いの知恵と知識を交換しながら、ステークホルダーの抱える問題の解決法をICTを利用して解決する機会を、随所で作っている。そのテーマは、CO2削減のような環境問題から、自治体の教育、医療、行政サービスの改善など、広範囲に及ぶ。

テレフォニカもディジタル時代の進行と共に、通信回線やエアタイム提供事業だけでは生き残れないとの危機感をつのらせていた。 技術力を持った社員が顧客に直接対面し、その課題解決に適したシステムを一緒に考え、提案する過程には、それを通じて社員の意識が変化し、ひいては自社の企業文化が、回線接続業から総合情報通信サービス業へと変わることが期待されている。

今年の9月、 テレフォニカは世界規模の社内機構再編を行なった。テレフォニカ ディジタルという組織を誕生させ、ディジタル・ビジネスの推進へと大きく舵を切ったのである。それはテレフォニカのビジネスモデル変革への歩みでもある。こうして、同社は、テレフォニカ ディジタルをエンジンとして、データで稼ぐ仕組みを作ることに本格的に乗り出した。 早速11月初めに、ヨーロッパのICTスタートアップ企業に投資し、イノベーションを推進する企画を発表したのも、その表れである。

新技術を導入するための投資も続いた。10月には、チャイナ ユニコムと共同出資で、M2Mや、モノをつなぐインターネット (Internet of things) の技術開発を進める契約を交わしたほか、11月には、ホームエンターテインメントビジネスの開拓を目指し、 WiFi用アンテナメーカー, クアンテナ(本社、米国カリフォルニア州)、への投資を発表した。

今や、世界中で、かつて電話会社として成長した会社はすべて、ICTを使ったサービスを提供する会社に変わろうとしている。危機をチャンスに変えねばならない時期に、テレフォニカはCSRを経営の基本に据えつつ、どのように変化に対応し、 生まれ変わっていくのだろうか。興味をもって見まもりたい。

掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2011年12月号、2012年1月 合併号

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津波と震災の被災地に行ってみた。

今日は三月十日。明日で、東日本大震災からちょうど一年になります。

今年のお正月休みは日本で過ごしましたが、その機会に、津波の被災地を訪ねてみました。震災と津波は、ジュネーブにいてもショックな出来事でしたが、どうしても一度自分の目で見たかったのです。

実を言うと、ためらう気持ちもありました。ただ見に行くだけでは、物見遊山のようで、被災地の方に申し訳ない、と。背中を押してくれたのは、同期生の友人、Aさんでした。彼は、震災の日からずっと仙台にいて、通信の復興に尽くしてきた人ですから、地域のことは知り尽くしていました。

そういう人が、「見るだけでもいいから、行くといい」と言ってくれたので、心が決まりました。

私の日記から ———

2012年正月八日 日曜日、仙台の先、仙石線に乗って、野蒜(のびる)に行ってみる。

朝6時起床。7時20分には家を出る。

晴天の関東平野。筑波山を右手に見ながら、仙台へ。

仙石線野蒜駅。鉄道は不通。

何も無いじゃない?―防風林の松林が目の前に広がる。仙石線、野蒜駅には被災の痕が残っている。駅舎二階に「美しい野蒜を取り戻そう」と、書かれた子供の絵が貼ってある。でも、眼の前を見ると被害が見えない。

駅前から海岸を見晴るかす。
海岸の国道。

海岸まで歩いて、浜を見下ろす堤防の上に立ち、薙いだ美しい海に頭を下げた。それから踵を返して、松林を突っ切ろうとして、気がついた。

松林の外に門柱らしい石の柱が見える。

門柱だけ残った。

近づいてみると、家の跡だった。その隣は土台のコンクリートが残っていた。アルミの鍋の蓋が、砂地に埋もれていた。何も無いと思ったのだが、この一帯は、瀟洒な住宅の建ち並ぶ地区だったのだ!

砂地に埋もれて残った鍋の蓋。
庭先の屋敷神には、新しい御神酒が供えられていた。ここにもお正月は来たのだな。
瀟洒な住宅地だったに違いない。

何も無いこと、何も無くなってしまったことこそが、この景色の語る情報だったのだと、やっと気がついた。

被災した家や学校のような建物も遠くに見える。流され尽くした家と、一階部分が大きな損傷を受けたものの、二階はそのまま残っている家と。何がその明暗を分けたのかは、目で見ただけでは分からない。

残った建物。屋内は津波にさらわれたのか、空っぽ。
残った家。

野蒜に着くまで、松島海岸で電車を降り、代行運転のバスに乗ってきた。道中目をこらしたが、被災の爪痕は全く見られなかった。

それが、野蒜に来るとこの有様。なにが津波被害のある、なしの線を分けたのか?

牡蠣の養殖が盛んな地域らしい。松島海岸のあたりでは、あちこちに牡蠣を食べさせる店、取れたての牡蠣を小売りする店の看板を見る。野蒜のあたりも、海水浴場があって、夏は賑わっていたのかしら、などと考えてみる。

がれきの後始末の大変さなど、想像の手がかりになるものは、既にほとんど無くなっていた。それでも、景色の見方のコツが分かってくると、根元から折れた街灯、途中から無くなった橋の欄干などに気がつく。それらが壊れる前の様子を想像するに、ここにはそれなりの街と人の暮らしがあったのだろう。それらが根こそぎ無くなってしまっていること、それこそが、被災した土地の今の姿の現実なんだろう。

根元から折れた街頭。更に電灯の部分もへし折られている。 後ろには、欄干の流された橋。

帰路、バスで通りかかった東松島町の中央公民館で、成人式が行われていた。振り袖の女の子はともかく、男の子も何人かが着物を着ていたので、ほほう、と思った。日本も変わったものだ。

この平和な光景を見ていると、この辺り一帯に津波が襲ったとはどうしても想像できない。被害に遭うか否かという大きな明暗が、何のどういうちからで分かれたのか?

休暇の終わりに、ここに来られて良かった。東京から日帰りという、とても短い時間だったが、報道の映像からはわからない、地域の全体像を想像する手がかりぐらいは掴めた、、、かな。

おととい、金曜日にAさんに会ったのは偶然じゃなかった。前から、被災地をこの目で見たいと思っていた。その願いが思わぬきっかけで叶った。彼にお礼状を書こう。

CSRとアクセシビリティー セミナーに遠距離から声の出演

1月21日のこと、ウェブアクセシビリティーのセミナーに、スカイプを通して、雪山から参加しました。

マルチデバイス、ソーシャル時代の企業CSRとアクセシビリティセミナー 

マルチデバイスに今後求められる、アクセシビリティとは? 

iPadを生活の中で使いはじめた弱視者や、スイス在住の研究者の生の声も聞きながら考えてみよう!

ウェブアクセシビリティーはCSRだ

私たちは、情報を、空気のように、そこにあることが当たり前と感じて暮らしている。スマホや携帯、パソコンなど情報機器は、今や生活常備品になった。そういう情報環境のなかで、ウェブアクセシビリティーはどの企業にとっても重要な意味を持つ。私たちが、仕事にも暮らしにもウェブを利用する毎日。だれでもが見やすい、使いやすいウェブを作ることは、情報化社会の中で活動する企業として、同じ社会に生きる人々への責任事項、CSR(企業の社会責任)だと思う。それは、地球温暖化を止めるという地球への配慮のために、企業が自社の排出する排気ガスの量を抑えることと、全く同じことである。

栗崎由子、情報化社会のCSR専門家”

主催のNPO, ハーモニー アイさまへのメッセージより

この日、セミナーの会場は大阪、私はスイスのThyonという標高200mの村にある、友人のシャレーに来ていました。時差があるので、朝7時にスタンバイ。

自分の声が登場するパネルディスカッションのユーストを自らパソコンで見ながら、iPhone上のスカイプで、声の出演。技術って凄いですね。

変化を模索するITU — テレコムワールド ‘11に参加して — 欧州ICT社会読み解き術 (2)

10月にジュネーブで開かれた、ITU(国際電気通信連合)のテレコムワールド ‘11に参加した(写真 NTTグループと、日本コーナー)。これは、4年に一回、ITUが開く世界的イベントで、今年はその40周年に当たる。ここでは常に、その時々のテレコムの政策課題が議論され、近未来の技術が展示されてきた。

通信市場自由化の進行、インターネット、携帯電話が固定電話に取って代わる時代となるに伴い、ITUは時代に応じた役割を模索してきた。もともと通信キャリアと政策担当者の集まりであるITUは、通信技術標準化と料金などの国際通信制度が伝統的なコアコンピタンス(核となる強み)だった。しかし、通信の規制から公平競争のルール作りへ変化した政策担当者の役割り、電気通信政策の枠組みの外で誕生し、発展を遂げてきたインターネットを現実の通信市場に抱え、ITUの役割も変わらざるを得なかったのである。

展示から対話へ

現代は、SNS(ソシアルネットワーキングシステム)の隆盛に見られるように、個人がネットを介して知恵を持ち寄り、行動を、時にはイノベーションを生み出す時代である。携帯電話がパームトップコンピュータに成長するなど、ICTは個人の情報発信を飛躍的に容易にした。今回のテレコムには、そういう時代におけるITUなりの取り組み方が、いろいろな仕掛けとなって現れていた。

例えば、会場のフロアプラン。対話、ネットワーキングをしやすいよう、簡単な椅子とテーブルを置いたコーナーが展示会場の中央に幾つか設置してある。また、今までは、展示場と、フォーラム、ワークショップ会場が劃然と別れていた。フロアも違えば入場料も違った。今回は、それらが繋がっている。今回のキーワードの一つ、「コネクティビティー」を意識したかどうか、人とのネットワーキングや、展示される技術とフォーラムで生まれる知恵やビジョンを繋ぐことのできる環境が、そこにある。

ワークショップに行くと、参加者一人一人と名刺交換をするITUのスタッフがいる。今までこんな経験をしたことはなかった。ここに、イベントの後も、問題意識を共有する人々と繋がろうとする意志を感じる。

ワークショップの進行中には、スタッフがノートをとっている。そのノートは後日様々なプロジェクトに使うという。参加者をリソース、知恵の提供者として活用するその姿勢は、今流行のコレクティブシンキング(共同で考える)そのものだ(写真 会場に掲げられるキーワード、“外せない会話”)。

必要に迫られた人々に役立つICTとは?

WHO(世界保健機構)のブースは、eHealthをテーマにしていた(写真。eHealthチームのリーダー、JDさんと)。主に発展途上国で活動する多様なNGOを招いて展示とトークショウを行っていたが、マラリアの薬の管理(タンザニア)、エイズ患者の心のケア(南アフリカ)、など事実そのものに説得力があった。

WHO mHealth Pavillion, ITU 2011

こういうプロジェクトを見るにつけ、ICTが、医療、保健サービスの行き届かなかった僻地の人々や、その仕事に従事する人々に大きな便宜をもたらしていることに感心する。そして、成功しているプロジェクトには共通点があることに気付く。

一つは、あるプロジェクトに関わる人々や、組織がすべて参加し、共に働く仕組みがうまく機能していることである。ジュネーブ大学がWHOなどと共同で進める、アフリカ僻地で働く医療従事者の遠隔教育システムのプレゼンテーションの中で聞いた、こんな言葉が耳に残ったー“ICTシステムを現場で生かそうと工夫するうちに、それに関わる人々を包含するネットワークを作っていた。”

もう一点は、安価で、容易で、そのうえ、手元にあるICTを使うことである。たとえば、僻地にある現場からのデータインプットには今でもSMSが多用されている。発展途上国の場合、スマートフォンや、ブロードバンドは、普及率が10%にも満たないのが現実である。また、そういったサービスの受益者には、高齢者などICTに慣れていない人々もいる。そういう人々こそが、ICTの恩恵の必要な人々であり、そこでICTが役立つ為には、そういった受益者に手の届くシステムでなければならないのである。

変化を見まもりたい

今回のテレコムワールドを見て、ITUは、通信という抽象的な存在から、通信の中身に関心の対象を拡げつつあるように思えた。通信システムを使う側の組織や人々に近づき、eHealth,気候変動など、通信主導ではない様々な活動に参加している。それは奇しくも、「モバイルを核とした総合サービス企業」を目指すと宣言した、NTTドコモ社の方向とも軌を一にしているのではないだろうか。

その動きの中で、ITUは、発展途上国でのICTシステムに見られるように、先進国の我々が過去に置いてきたような技術を求められる場面にも遭遇しよう。今後、通信という伝統的な専門領域の縁辺を拡げる過程で、ITUはどのような付加価値を創っていくのか?今後のITUが、WHOなど、多用な国際機関と協働を進める中でどう変化するか、何を生み出して行くのか、経過を見まもりたい。

テレコム閉会にあったてのキャッチフレーズは、ITUの変化を鼓舞するかのようで象徴的だったーー“Manifesto for Change

掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2011年11月号

掲載原稿はこちらをご覧ください。