再び見る日本ー国際交渉の現場から(6)

再び見る日本は、変わったのか変わらないのか? ー 1984年夏から1985年

1984年夏に帰国、NTT(当時、日本電信電話公社)に戻りました。

当時は、電電公社民営化の真っ最中。民営化を進めるためには、厖大な仕事があります。そういう仕事に携わるわたしの同期生や、年の近い先輩方が、生き生きと忙しそうにしておられる姿が新鮮でした。この会社も、新しく生まれ変わるかもしれない、そう思うと、わくわくしました。新しい丸いブルーのロゴが、NTTというアルファベットで書かれた社名と共に、軽やかに見えました。

わたしはといえば、無任所の社内浪人みたいな身分でした。同じ頃、会社派遣の留学生としてアメリカに行っていた人々も、戻ってきました。彼らも無任所でしたが、 秘書課第三人事係に籍を置き、おりしも始まった会社訪問の学生の応対に就いていました。わたしは、会社から見れば非正規留学の人間でしたが、正規留学の男性社員と同様に、会社訪問の女子学生の面接を行ないました。今から思うと、わたしのような前例の無いルートで私費留学した社員を処遇するルートもなく、また、時代が少し変わって、女子学生の会社訪問を受け付けるようになっていたためでもあるでしょう。

その頃はまだ、民間企業では、男性が仕事の主役、女性はその補助業務に就く、という処遇が大半でした。大卒女子を会社の戦力として採用する、という考えは、一部の人に芽生えはじめていましたけれども、実例は本当に乏しかったのです。キャリアウーマンという言葉が流行ったのもその頃でしたが、イメージが先行していました。

それを物語るこんな経験があります。

ある日、会社訪問に来た女子学生が、こんなことを尋ねました。
「くりさきさんも、男性と同じように残業するのですか?」

(え!?)

「はい、残業します。でもそれは、自分の仕事があるからです。男性が残業するから(私も残業する)ではありませんよ。」

彼女は、女性も残業することが、仕事に男女の違いのないことだと思っていたのかも知れません。

そうこうするうちに、営業局市場開発室から声がかかり、わたしは、新技術を商品化する仕事を担当することになりました。留学前に同じ市場開発室で、市場調査を担当していたことが、このご縁に繋がったのだと思います。新しいサービスを生み出すという仕事の性質からでしょうか、市場開発室には、 新しいもの、新しい考え方を積極的に取り入れる気風がありました。

今から思うと、わたしの任用は 中野景夫市場開発室調査役の抜擢でした。同期の人々が、本社の係長になるところを、わたしは、部下こそいませんが、管理職のポストに就いたのです。それは、留学したおかげでした。当時、市場開発室は、ジュネーブの世界電気通信連合(ITU)で行われる標準化会議に、NTTを代表して事務系社員を送り出していました。中野さんは、カナダ留学から帰ってきたわたしに、その任を担当させてくださったのでした。

わたしが管理職になったのは、NTTの内規のためでした。当時は、外国出張に行けるのは、管理職以上と決まっていたそうです。ところが、わたしはまだ管理職の年次に達していません。そこで、中野さんは、管理職の中でも一番下のランクのポストを市場開発室に作り、人事課の承諾を取り付けたのだそうです。それは係長と同レベルの管理職でした。

私は、その頃は、ジュネーブという名前だけしか知りませんでした。どんなところだろう?——ワクワクしながら、ITU に行く日を待ちました。後年、自分がそのジュネーブに住むことになろうとは、夢にも思いませんでした。

わたしのジュネーブへの出張は、NTT史上二番目の、女性社員による海外出張となりました。フルブライト奨学金を得てアメリカに留学され、その後も、NTT社内で電話交換手の待遇改善などに尽くされた景山裕子さん(かげやま ひろこ、故人)以来、30年ぶりだそうです。まだ、「女性で初の課長」「女性で初の電話局長」など、“女性で初”が目新しかった時代でした。今では、さしもの日本でも、大臣が女性であるというだけではニュースになりません。社会の変化の速さに驚きます。

次回は、 場所は世界電気通信連合(ITU)での、国際交渉の最初の体験について、書こうと思います。

この記事は、NPO国際人材創出支援センター(ICB) ウェブサイトに連載されています。

広告

ネットが繋がるのは奇跡! — 欧州ICT社会読み説き術 (9)

ある火曜日の夜、突然に

きょうも何事もなくネットが繋がり、私はメールやウェブを見ている。この当たり前のことは、実は奇跡だと、最近気がついた。

ある火曜日の晩、自宅のネットが繋がらなくなった。朝は何でもなかったのに。モデムの配線をつなぎ替えたり、電源を入れ直してみたりして、自分の分かることを試した。結果は同じ。

まあいいさ、静かな時をもてるわと、一度は喜んでみた。おりしも北国の初夏。外では早朝、深夜に小鳥が美しい声でさえずっている。家にいるときぐらいは、キーボードから頭を上げ、自然の恵みに耳を傾けようではないか。

だが実際には、わたしの暮らしぶりがどんなにネット漬けか、良くわかる結果となってしまった。

我が家からネットが無くなり、メールの送受信はもちろん、音楽や日本や世界のニュースをポッドキャスティングで聴く、ブログを書く、フェイスブックやツイッターを覗いて、友人の消息や、世の空気を知る・・みんなフイと消えた。不便だ。ストレスは高まるばかり。

ヘルプデスクに助けを求めたが

翌朝、私の使うISP,グリーン社のヘルプデスクに電話した。

グ社のデスク氏「当社のシステムは正常です。おかしいな、、わかった、あなたのモデムが動いてないと、当方のスクリーンに出ています。」

え、わたしのせい?モデムは2-3年前に替えたばかりだというのに。そりゃ、早すぎないかい?

デスク氏「2-3年?古いですね。とにかく、当社の原因ではありません。回線を提供するスイスコム(スイス最大の電話会社。日本のNTT東、西に当たる)にそっちの原因を調べて貰うか、あなたのモデムを取り替えて下さい。」

またこれだ、“自分のせいじゃない”。こうして原因先送りの堂々巡りの始まり始まり。この件も迷宮入りか、、と気が重くなったとき、思いがけない言葉を聞いた。

デスク氏「あ、いけない。きのう、当方がVDSLに変えたんだった!あなたのモデムは、ADSL専用ではないですか?」

冗談じゃないよ!わたしはVDSLに変えてなんて、頼んでない。

わたしには高速モデムよりも、常に動くサービスが必要なんだ!

そういえば3週間前、突然仰々しいモデムがグ社から届いた。頼みもしないのにヘンだと思い、グ社に電話して訳を聞いた。ただ繋げばいいだけです、とヘルプデスクのお兄さんは答えた。ただし一週間以内につなぎかえを終わらせてください、と。

だけど、その時彼は、グ社がもうすぐVDSLに替えるだなんて、一言も警告しなかったぞ。

実際、その時わたしは新しいモデムに繋ぎ換えを試みた。うまくいかない。止めた。古くていいから、今ある安定したモデムがいい。

ところが、グ社の方でVDSLに変更してしまったとわかった今、私が自力でモデムを替えるほかない。ネット断絶状態も我慢の限界に来ていた。金曜夜、遅く帰宅したにもかかわらず、再びモデム接続を試みる。

判りにくい説明書を見ながら、1時間。ついに接続成功。一気にストレスがすとんと落ちた。その爽快さ。我ながら、自分のストレスがここまで大きかったことに驚いた。

さて、その原因は、、

このVDSLへの変更の件は、誰からも何の事前連絡もない、青天の霹靂だったので、後日その理由を改めて調べて見た。

すると遠因は、スイス連邦政府の加入者回線高速化政策にあるとわかった。スイス政府は加入者線の光ファイバー化(FTTH, Fiber to the home)を2008年以来進めてきた。その際、スイスコムなどの通信設備保有者や、ISPなどのサービスプロバイダとの競争が公正に行われるよう、連邦通信委員会(The Federal Communications Commission, ComCom)が主導して通信企業を集めて協議会(Round Table on fibre networks)を発足させて、回線へのアクセス条件、技術標準など、細かいルール作りを行なってきた。

その一連のルール作りと、現実の設備変更が進行した結果、我が家にタダでVDSLモデムが配られ、わたしがうかうかしているうちにネット接続回線はADSLからVDSLに変わり、それを知らなかった私には、ネット断絶が起きたのである。

ICT大衆化時代のチャレンジ

今回のささやかな経験から、ICT大衆化時代の課題が幾つか浮かび上がるように思う。

まず、ICT提供者(事業者、政策担当者)と利用者との間に意識のずれがあること。利用者にとり、ネットは 暮らしのインフラなのだから安定供給が第一。他方、ICT提供者は、回線速度が最も重要と考える。利用者にとっては、安定・安心あっての速度である。サポートどころか予告もなく、頼みとするISPにADSLからVDSLに変えられて、ネット断絶となり、あわてるのは利用者だ。

二番目は、ネット社会の利用者サポート。ネットが暮らしのインフラになり、だれでもがネットを使うようになると、それに比例してサポートは手薄になる。そういう社会では、街のICTヘルプの必要性が増しているのではないだろうか。ICTの使い方を知っていても、その仕組みにも機器にも明るくない個人利用者は大勢いると思う。そういう人々を対象にした、個人利用者向けICTヘルプサービスへのニーズは、大きいと思われる。

ICT大衆化時代のヘルプはかゆいところに手が届かなければならない。現在のような、現場に行かない、電話とメールだけを使ったヘルプデスクサービスにはどうしても限界がある。大変お恥ずかしいことだが、私の場合、つなげばいいだけ、と電話でいわれたモデムを、一回でちゃんとつなげなかった。後から判ったことだが、原因は、私のモデムの回線分岐器具が、説明書にある図解とは違う位置にあったためだった。そして私には、それを一目で見抜けなかった。

理屈では単純なことでも、個々の現場を見なければ判らないことは、ICT環境にもたくさんある。技術には強くても、現場を知らない人々が、電話でアドバイスをするだけの体制では、時には、利用者はお手上げになってしまうことがあるのだ。

ネットの故障には必ず原因がある。他方、ネット接続には、設備提供者、サービス提供者、機器製造メーカが介在する。そのため、ネットに故障があった場合、誰にも簡単には原因が判らない。利用者は、ネット接続に関わるいくつもの事業者の間を綱渡りして歩いているようなものだ。そんな状態でありながら、日々ネットが繋がるのは奇跡である。

ICT大衆化時代を迎え、私のようなネット漬けの生活を送る人は大勢いると思う。そういう社会で、個人利用者向けICTヘルプサービスは、大きなビジネスチャンスとなったのではないだろうか。だれかこのビジネスで、大成功して見せてくれないかな。

掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2012年7-8月号

誰でもアクセスできるウェブ — 欧州ICT社会読み説き術 (8)

情報化社会のCSR

情報化社会が成熟すると、それに呼応して企業には新たな社会的責任 (CSR, Corporate Social Responsibility) が生まれる。その一つが、企業のウェブサイトを誰にでもアクセスしやすく、情報の探しやすいものに作ること、つまり「ウェブ アクセシビリティー」の向上である。

ウェブサイトは情報化社会に不可欠なインフラといえる。だからウェブサイトの主要な製作者である企業には、誰にでも使いやすいサイトを作る責任がある。それは、ある企業が自社のお客様だ、と考える人々(例えばパソコンを買いたい人)だけでなく、ウェブを使う人誰でもに対する責任である。そこには当然、従来どちらかというとウェブになじみの薄かった人々、身体障がい者や、例えば高齢の利用者も視野に入れなければならない。

個々の企業が、自社のウェブサイトを誰にでもアクセスし易いものにすれば、世の中の情報インフラの質は、飛躍的に向上する。これは丁度、地球温暖化の進行を食い止めるために、個々の企業が二酸化炭素排出量を自主的に削減することと似ている。企業が、地球の環境に責任を負うように、情報環境の向上に貢献することが情報化社会のCSRである。

ウェブ アクセシビリティー(WA)

ウェブ アクセシビリティーは、概念であるだけでなく、具体的な標準(つまり、広く合意された決めごと)を伴う技術である。その標準は従来、ウェブ アクセシビリティーに関心のある人々が集まって自主的に作成した事から始まった(Web Accessibility Initiative, WAI)。それが技術的に優れていること、他に比肩する技術標準が無いことも相俟って、今では、約20カ国で技術標準として採用されるまでに至り、事実上の国際標準となった日本でもJISが主体となって日本に合うように補足された標準が作成されている (JIS X8341)。

スイスのWA

筆者は最近ジュネーブで開かれた、WA セミナーに参加する機会を得て、州政府、ウェブ作成者、推進団体など、実際にスイスでWA推進に携わる人々の生の声を聞いた。

スイスでは、連邦法 (身体障がい者法、2004年成立)により、すべての公共機関は、そのウェブサイトが、WAIの定めたAAレベルを満たすことを義務づけられている。

ここでいう公共機関の範囲は広い。政府機関は、連邦、州、市町村に至るまで、すべてが対象となる他、ラジオ、テレビ局、スイスポスト(郵便と貯金)、スイス国鉄、主な都市の市営交通など公共目的の企業体も同様の義務を負う。

WAの向上は、良いことではあるが、現実問題として、実行に向かって弾みをつけるのが案外難しいことも事実だ。そこで、WAの向上を促すため、スイスでは、政府や、公共企業のウェブサイトの評価を行ない、その結果を公表している。評価を行うのは、「Access for all」(アクセスを誰にでも)という団体である。現在、2011年版の評価測定報告書が公表され、無料で配布されている

この報告書は良くできていて、評価を受けた各機関のサイトの良い点、改善点、参加機関のランキングが図解入りで分かり易くまとめられている。各機関に対する講評も分かり易い。実際には参加機関には、これよりもずっと詳細な評価結果が知らされていることと思うが、私は、この報告書をアクセシビリティー推進の手段として注目したい。このように評価結果が公表されれば、各機関は競争せざるを得なくなるだろう。また、アクセシビリティというまだなじみの薄い概念について、人々の関心を集める効果もある。

ニーズに合わせることこそ重要

Access for allでは盲人がアクセシビリティー測定チームに参加している。その評価方法も興味深い。テストを行なう盲人のコルシウロ氏は、一例として、「僕が盲導犬を飼うには、行政側に対しどのような手続きが必要か?という問いにウェブサイトは答えられるかどうかを見ます」と語った。実際の課題に役立つか、というこのような視線は、アクセシビリティー技術を実際の場で生かすために不可欠である 。

アクセシビリティー向上をと言われ、ともすれば、技術標準どおりやっているから合格、と考えるウェブ製作者もいるかもしれない。しかし、アクセシビリティーの目的は、それを切実に必要とする人がウェブサイトを実際に使って、目的を達することを可能にすることだ 。技術は大切な一歩だが、アクセシビリティーは、最後はその利用者の意見を組み込んで、完成させなければならない。スイスにその体制が出来ていることは、役に立つアクセシビリティーを実現するための地に足の着いた手段として、評価して良い。

ラスト1マイルの利便向上を

「それでも」、とコルシウロ氏は語る。多数の公共機関のウェブ アクセシビリティー向上は徐々に進んでいるが、彼が利用者として見ると、その動きはまだ点の状態だという。

たとえば、ウェブサイトのアクセシビリティー評価は、五つ星で満点のチューリヒ州。毎年の収入申告という複雑な作業も盲人がウェブでできる。ところが、その後がいけない。行政手続きとして、インプットの終わったページをプリントアウトし、サインして、税務署に郵送することになっているのだ。目が不自由な人が、すべて一人で行うには、難しい作業ではないか!

チューリヒ州の名誉のために断っておくが、最後の1マイルの不便は、どの機関、団体にもあるだろう。

ウェブサイトのアクセシビリティー向上は、現代社会の情報環境の大きな前進である。けれども、ウェブサイトの利用は、何かをするための一連の動作線上にある大切な一部だが、それだけで目的を達することは出来ない。ウェブへのアクセシビリティーの向上が、ウェブを含む一つの目的を持った行動のプロセス全体のアクセシビリティー向上に繋がることを期待したい。

掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2012年6月号

いつでも?どこでも?だれでも? — 欧州ICT社会読み説き術 (4)

お正月休みを日本で過ごした。1年ぶりの日本である。

私のように、20年以上ヨーロッパで暮らすと、持ち歩くパスポートは日本人であっても、目線はガイコクジン訪問客になる。そういう目でニホンのICTを見ていると、「あれ?」と思うことにぶつかった。

持ち歩くWiFiって便利!

ジュネーブで買ったiPhone。私の契約するキャリアS社の契約更改期まで2年待ってやっと手に入れ、そのスマートさに一晩ではまった。第一、携帯で日本語が使える!欧州に住むと、まず、その便利さが身に沁みる。

出勤途上のトラムなどの隙間時間にWiFiにアクセスして、メールチェック、ファイナンシャルタイムズの日々の記事一覧も見られる。私は、こんな軽くてスマートなキカイが嬉しくて、いろいろ試して楽しんでいた。

お正月帰省が近づくと、今年は何が嬉しいといって、日本にiPhoneを持って行けば、休暇中もメールを見られることだった。今までは一時帰省中はネットとは断絶されていた。親は後期高齢者。家にネットは無い。ジュネーブからラップトップを持参したが、それはオフラインで日々の備忘録に使うだけだった。

今年は違う!iPhoneさえあれば、どこでもネットで繋がれる♪

日本の「公衆無線LAN」て?

ところが、そうは問屋が卸さない、と気づくのに2-3日で充分だった。日本滞在中、いろいろな機会に私のiPhoneをWiFiに繋げるか試してみた。到着した成田空港から始まって、地下鉄駅で、大手情報機器ショップで、立ち寄ったホテルのロビーで。その結果、3週間の滞在中、成功したのは一回だけ。つくばエキスプレス車内とその駅構内だけだった。

初めは戸惑った。私は使い慣れていないので、操作の仕方が悪いためか、電波が弱いためか、原因がよくわからなかった。さすがにここなら、と思って試したKDDI社敷地内の「公衆WiFiボックス」の側でも、ダメ。ドコモ社のWiFiには鍵のマーク。望みをかけたスタバでもダメ。

思いあまって、通りかかったソフトバンクショップで困ったと訴えた。そこでわかった。日本では、「公衆無線LANサービス」「公衆WiFi」と書いてあっても、それがキャリア提供のWiFiの場合は、そのキャリアと契約した顧客でなければ使えないということが。それを知らない私は、ジュネーブでは、街の中心部や空港で自由にアクセスできるので、日本でもそういうものだと思ってしまったのだ。まさにガイコクジン訪問客である。日本の事情を知らないまま、しかし日本語が分かるだけに、「公衆」=「誰でもが使える」と解釈してしまったのだ。

私にも言い分はある。スマホに表示されるWiFiのアイコンに鍵のマークの付いたドコモ社は、これは会員制だなとわかる。けれども、他のキャリア二社のWiFiアイコンには、鍵マークが付いていない。ソフトバンクショップで聞いてみると、鍵の表示はなくても、自社顧客でないと使えない仕組みがあるのだそうだ。そういえば、成田空港もそうだった。空港はキャリアではないが、空港内にWiFi設備があることはアイコン表示でわかった。鍵のマークもない。けれども、私のiPhoneではアクセスできなかったところをみると、ここにも何らかのガードがかかっているのだろう。

日本滞在中、私に気前よくWiFiを提供してくれたのは、つくばエキスプレスだけだった。これこそ公衆サービスではないか。

壁のないWiFiこそモバイル

日本には、「街で使えるWiFi」がきっとたくさんあるのだろう。地下鉄車内で見かけた広告にもあった;「スマートフォンはWiFi使わないともったいないぞ」。けれども、その現実はさほど自由ではない。WiFiの一つ一つはキャリアの壁に囲まれている。日本の中にキャリアの数だけWiFiの島がある。日本に住む人なら、きっとそれで不便はないのだろう。携帯電話を使う以上、どこかのキャリアの顧客なのだから。けれども、どのキャリアの顧客でもない人は、日本中を覆うはずのWiFiの恩恵に、全く与れない。人と通信のグローバル化が日常になった時代に、他国からの訪問客が街でWiFiを駆使できない。東京でさえも。それはマズイのではないか。

キャリアの言い分は分かる。顧客サービス、他社との差別化、セキュリティ保護、など、いろいろな理由があるだろう。それらはすべて、尤もなことである。また、街全体、国全体のWiFiアクセスを保証するのは、一通信キャリアの責任ではないという議論にもうなづける。

けれども、モバイルインフラの整備をキャリア各社の設備投資と市場戦略にのみ委ねていると、こういう矛盾、不便が生じることも事実なのだ。

日本のモバイルインターネットの発展は素晴らしい。だからこそ、日本のモバイル インフラは、WiFiの島の集合ではいけないと思う。現代はそういう時代ではない。

ところが日本中がいつのまにか、そこに住む人だけを向いたインフラで覆われている。「いつでも、どこでも、だれでも」通信できることが、モバイルサービスの理想だったのではないか。

現在のような状態は、「いつでも、どこでも、だれでも」使えるWiFi網になるまでの通過点だと思いたい。今の「公衆」WiFi サービスは、近い将来、キャリアの壁を越えて、真の公衆サービスに発展して欲しいと思う。

掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2012年4月号

e-Commerce サイトは多言語対応? — 欧州ICT社会読み説き術(6)

複数の言語が使われるスイス

スイスは四つの公用語を持つことをご存知の読者は多いだろう。独仏伊語にロマンシュ語である。だが、そういう多言語社会で、ICTとの接点を実体験された方は少ないのではないだろうか。

ICTが多言語社会という現実に対応しようとするとき、それはかなり大変なことになる。多言語、他人種、多文化社会であるジュネーブは、その格好の見本を提供してくれる。

ジュネーブの住民のうち、外国人(スイスパスポートを持たない人)比率は公表値約40%。だが、実際はもと多いだろう。スイスパスポートとそれ以外のパスポートとの両方を持つ人、つまりもともとスイス人では無かった人も、統計上では「スイス人」とカウントされるからだ。

重国籍を認めるスイスのこと、就労、結婚など、様々な理由でスイスに移住した外国人で、スイスパスポートを持つ人は大勢いる。だから街にはいろいろな言語が溢れ、子どもたちは、家庭で、学校で、街で、必然的に多くの言語を身につける。

大人の言語生活も同様だ。この街の多くの人々は、二つ三つの言語をごく自然に使って生活している。片言であろうとかまわない。必要に迫られる場面が日常的にあるのだ。

ウェブサイトに残るちぐはぐ

他方、ICTの多言語社会への適応は、人間のように柔軟にはいかない。ICT産業界の用語は、ほとんど英語一辺倒である。ディジタル、モバイルホンなど、よく聞く言葉は皆、英語が起源だ。つまり、ICTは単言語社会の生まれなのだ。

多言語生活の中の中では、単言語社会育ちのICTシステムは、頻繁にちぐはぐを起こす。

典型的な例は、eBayだ。アメリカ生まれのシステムだから、ポータルが英語なのは結構。

ところが、所在地にスイスを選ぶと、とたんに表示される言語がドイツ語に変わる。スイスの他の言語である仏伊語の選択はできない。スイスで広く使われ、eBayの母語である英語も選べない。

これには不便する人が多いだろう。スイスが多言語と言っても、国民全員が四つ全部のスイス国語を話すわけではない。ドイツ語圏の外には、ドイツ語の苦手なスイス人は多い。eBayには、品物の売買が介在する。そういう時、自信のない言語で、人の顔を見ずに、ウェブ上でお金を払う約束をするのは、かなり度胸がいるのではないか?

実例として、わたしの行動範囲内で目に付く、幾つかのウェブサイトを挙げよう。

サイト ポータル スイス仕様は? コメント
PayPal 英語  英独仏語から選択  言語の選択肢は英語のみで表示。
Vistaprint 名刺など印刷物のオンライン制作、発注 英語  仏独伊語から選択  英語がない。不便する利用者もあるだろう。
Air France(エアフランス) 仏語  仏英独語の選択可。  選択する言語によりスイスの国名表記 も変わる。言語の選択肢は英仏語で表示。ドイツ語がないのはなぜ?
BA(英国航空 英語  英独仏語選択可。  言語の選択肢は英語のみで表示。
JAL(日本航空) 日本語  なし  国の選択はあるが、言語は日英語のみ。
easyJet 低コスト航空会社 英語  目的地の欧州14言語から選択。国に無関係。  言語選択肢は、表示言語のみで表示。

(出典:筆者調べ。サイト仕様は執筆当時。)

こうしてみてくると、サイト制作者の気配りはわかるものの、まだかゆいところに手が届く、までには至っていないと思える。たとえ言語を選ぶ機能があっても、その前に「言語」という言葉のドイツ語を知らないと、どこから自分の使う言語を選べばいいかわからないサイトも少なくない。

その中にあって、うまくできているのは、イージー・ジェット(easyJet)という、英国の航空会社だ。同社はロンドンとジュネーブに本拠地を置き、欧州内の主要都市に低コスト低料金の航空定期便を提供する。

easyJetのサイトでは言語を14の選択肢から選ぶようになっている。居住国を選択する必要は無い。この方法で、利用者の居住する国と、その利用者が使いたい言語との不一致を難なく乗り越えている。

欧州は今、欧州連合域内の、人の移動の自由化を進めている。easyJetはまさにそれを先取りした。国と言語を一致させようと考えていないところが、見事にコスモポリタンだ。

多言語サイトのお手本―スイス連邦政府

最後に、スイス連邦政府のウェブサイトをご紹介しよう。スイスは連邦国家、つまり国家の連合体だから、どの言語も公平に扱わなければいけない。そういう国の政府のサイトは、お手本のような多言語サイトである。

例えば、連邦財務省のサイトはに、スイスの言語である独・仏・伊語の三つに加えて、四つ目に英語が入る。これはどの省でも同様である。

英語ページの情報量は他の言語に比べて少ないものの、基本情報は網羅している。こうして、連邦政府は世界に広く情報発信している。他国からの理解は、最大の国家防衛ではないか。この小国の国際性を、日本も見習っていいと思う。

掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2012年4月号

掲載原稿はこちらをご覧ください。

価値観の違いを学んだ痛い経験ー国際交渉の現場から(5)

価値観が逆の世界を知る‐カナダ留学、トロント大学、1982年9月から1984年6月 —— その2

痛い経験

前回、カナダでは日本とは価値観が逆転することを沢山学んだと述べました。それを物語る、今でも忘れられないエピソードを一つ。

カナダに到着して一ヶ月、アパートも見つけ、大学生活にも習慣が生まれ始めた10月末のこと、思いがけないきっかけから、「たたかう(闘う)」ということを学びました。

暴力やいさかいのことではありません。他の人との間に何か問題が起きたとき、自分を前に、前に、押しだして、問題の解決を図るという、そういう生き方、人生に取り組む姿勢です。

事の起こりは、トロントで最初に住んだアパートで起きた停電でした。

私の借りたアパートは、古い大きな家の最上階。ふっくら大きなカーブを描いて下におりるマンサード屋根、それがそのまま天井の形になっていました。カナダに来たばかり、新参の私には、とてもロマンチックに見え、そんなアパートを見つけられて嬉しかった。家主は、その家の持ち主で、一人暮らしのおばあさんというのも、なんとなく良いと思いました。

それが大変な思い違いだとは、世間知らずのお目出度い外国人の私に、わかるはずもありませんでした。

10月も終わり頃になると、気候が変わって急に寒くなってきました。本格的な寒冷地で暮らしたことのない私には、とても寒く感じられ、これから冬に向かうと思うと、不安が募ってきました。

ところが、アパートの暖房は不十分なようです。ラジエーターを調べると、温度調節のためのノブがついていました。そこを捻って温度を上げたとき、停電が起きました。

家主のおばあさんに知らせると、彼女はえらい剣幕で怒ります。自分で勝手にノブをいじるなと。私は、謝りましたが、部屋が寒いので温度を上げるように頼みました。彼女は、まずブレイカーを元に戻し、それから私のアパートに上がってきて、ラジエーターを調整しました。

それでも室内の寒さは続きます。困った、困った、と友人に話すと、真冬の気温が零下20度台まで下がることが珍しくないカナダでは、アパートの暖房を適正温度に保つのは(何度が法定最低温度だったかは忘れたが)、大家の義務だと教えてくれました。

ある週末の夜、部屋がとても寒くなりました。わたしもいつまでも暖房の温度を上げてくれない大家のおばあさんに、腹を据えかねました。そして自己解決のため、ラジエーターのノブを捻りました。

再び停電!

階下に降りておばあさんの住むフロアのドアをノックするも、返事がない。彼女は家にいるはずだけど?!居留守を使っているに違いない。

私のアパートは真っ暗。どうしよう、、、。

その当時、トロントにたった一人、日本人の友人がいました。彼女に助けて!と電話しようと思いつきました。カナダ生活の長い、ようこさんなら助けてくれるだろう。きっと、自分の家においでと言ってくれるだろう、、。

真っ暗な中で、手探りで電話のダイヤルを回す。その頃の電話機は、ロータリー式、電話機の表面に円盤が着いていて、そこに1〜0までの数字に対応する穴が10個開いている、その穴に指を入れて円盤を廻す、あの昔の電話機です。私はと言えば、真っ暗で、ダイヤルの数字さえ見えません。仕方ないから、ダイヤルに沿って番号の穴を順に右回りに指で辿り、右端の穴を見つける。それが数字の1です。そこから、1,2,3,と数えて、各穴に対応する数字を知る。それを七回繰り返して、やっと、ようこさんの電話番号を廻し終えました。

電話に出たようこさん、「たたかいなさい」。

え?

「 警察を呼びなさい。冬に、アパートの店子のために暖房を入れないのは、カナダでは犯罪よ。」 「あなたは、外国人でカナダに来たばかり。カナダの様子がわからないときにこんなことになった。暖房が無い上、電気を止められ、私は困り抜いている。私は被害者と、警官に力説せよ。」

家においでどころか、警察を呼ぶんだってぇ?

けれども、私に驚き、あきれている余裕はありません。家は真っ暗、寒いうえに、外は夜。再び、ダイヤルを指で辿って、警察に電話しました。

駆けつけた警官に、私は、困り抜いている、被害者の新参外国人として訳を話しました。

後日、その家は出ました。こんないじわるばあさんの家に住んでいては、安心して勉強できない。

カナダ社会では、一人暮らしのおばあさんというものは、概して他人に対して警戒心が強い。だから、外国人の店子など嫌がるものだということも、後から知りました。

これが、日本とは価値観の逆転した外国に住むための、最初の試練でした。私がこの一件から学んだこと、それは、日本人がするように、へりくだって、自分から引いて、和解を求めていては、自分の問題を解決できない、ということです。解決はその逆方向にある。自分を押しだし、自分の意見を言い、自分の立場を主張せよ!

今、ヨーロッパに来て20余年。私は、そのほとんどの間を、日本社会からも、日本語からも、ましてや日本企業からも、離れて生きてきました。それでも、闘う、自分を前に、前に、押し出す力がまだ弱い、と、ことある毎に思います。今まで私の上司になった人々からは、「あなたはもっと自分の意見をハッキリ言いなさい」と言われてきました。日本で働いていた時には、「あなたはものをハッキリ言い過ぎる」と言われてきた私が、です。

自分を前に押し出せないのは、日本社会で生まれて育った私の中に、しっかり組み込まれた精神なのかなと思います。人は、その住む環境や、文化に適応して生きて行くものです。外国に住むということは、自分の変化するプロセスを生きることでもあります。ゆっくり変わりながら、それでも私は、ヨーロッパでは自己主張の弱い人、反対に日本では、それの強い人でい続けるんだろうな。

この記事は、ICBウェブサイトに連載されています。

メールの運ぶ日本文化 — 欧州ICT社会読み説き術 (7)

ビジネスでは、Eメールは不可欠のコミュニケーション手段だ。今回は英語のビジネスメールを切り口に、日欧のコミュニケーションに潜む、意思疎通の擦れ違いを取り上げよう。

日本人が、英語でビジネスメールを書く場面は急速に増えているようだ。こういう現象は国際化への道のりだけれど、過渡期には苦労もあるのが世の常。英語でのビジネスに慣れていない世代の人々には、ご苦労も多いと思う。自分は国内ビジネスだけの会社だと思って入社した。それが20年経ってみたら、会社は外国企業との買収、提携に乗り出した。そのため自分にも、英語を使う社内メールや、社内会議は珍しくなくなってしまった、、という述懐が、ポロリとこぼれるのもうなづける。

それでも、日本人会社員は良くやっていると思う。英文のビジネスメールも、習うより慣れよ、が上達の秘訣なのだろう。

文は人なり、というが、文は文化なり、でもあると思う。欧州目線で見るとき、日本人の書く英文ビジネスメールには、日本文化が現れていることに気付くからだ。

例えば、「ノー(No)」の言い方である。

何かを否定する際、例えば断り状などで、日本語では「ノー」と直裁には言わない。それを言うときは、よくよくの強いノーを言う必要があるときだけだろう。

ノーをハッキリ言うことを避けるのは、日本の文化である。それは言葉の先にいる相手を傷つけないための、繊細な配慮なのだ。逆に言うと、相手に明快に「ノー」と言われると、日本人は傷つく。日本の「ノー」は、言った相手の人格まで否定しかねないほどの強い言葉だからだ。

そういう繊細さは、日本人の書く英文ビジネスメールにも、ごく自然に織り込まれている。メールを書く人は心をこめて、日本語人でない相手に英語で返事を書く。だからこそ、明快に「ノー」を言わないのだ。

これが日本語による、日本人同士のメールなら、それはりっぱな大人の教養である。

ところが、メールの相手が文化の違う人だと、勝手が違う。日本人とは違う思考回路を持つ人々にとり、「ノー」を明確に書かないメールはわかりにくい。そこに、小さいけれども、文化の根本的な違いが顔を出す。

最近、こんなことがあった。

欧州人のマリーさんは、東京出張を前に、彼女の会社の日本法人の鈴木さんに、同業B社の人で、鈴木さんもよく知る田中さんとのアポイントを頼んだ。実はマリーさん自身も、田中さんご本人を直接知っている。けれども、そこは異文化コミュニケーションをわきまえている彼女、敢えて日本法人の鈴木さんを通したのである。

アポイントの設定は、初めは問題なく行くかに見えた。ところが、鈴木さんとメールのやり取りをするうちに、マリーさんには、田中さんに会う日が火曜か水曜か、どうもはっきりしなくなってきた。そこで、マリーさんは、鈴木さんにメールを書いた。

以下のやりとりは、実際にはすべて英語で行われたものを、日本語に直してある。

マリー「親愛なる鈴木様、B社の田中様に、火曜日か水曜日、どちらの日がご都合がいいか、ご確認をお願いします。」

鈴木「マリー様、田中様には、アポイントのお願いをいたしました。田中様は、火曜日から水曜日までお忙しいそうです。」

マリーさんには、 鈴木さんの答えがイエスかノーか判らなかった。彼女はイエス、ノーをハッキリ言う欧州文化の人である。反面、日本人ほどには相手の内心を察する習慣が無い。相手の言いたいことを無言のうちに読み取って先回りするのではなく、相手の言葉を待って、自分の次の対応を決めるのが彼女の文化だ。

田中さんはお忙しい?では、今回は田中さんとはお会いできないのかしら?けれども、鈴木さんはアポイントをお願いしてあると言うし。それとも、先方は時間調整中で、その返事待ちかしら?

そこでマリーさんは一計を案じ、直接田中さんにメールを書いた。

マリー「親愛なる田中様、次回の日本出張の折には両日ともお忙しいため、お目にかかれないと伺いました。またの機会を楽しみにしております。」

こう書いて、田中さんからの返事が「はい、そうなんです。残念ですが今回は見送らせてください」なら、ノー、「いえいえ、私は水曜日に時間を作るようただいま社内で調整中です。すみませんが、2-3日お待ち下さい。」ならイエス、とわかるからだ。

ところが、翌日届いた田中さんの返事は、たった一言。

田中「マリー様、日本の春と、しゃぶしゃぶをお楽しみ下さい!」

鈴木さんと田中さんは、最後までマリーさんにノーと言わずに、ノーを判ってもらった。これは日本文化である。

英語を共通語にしていても、その書き手と読み手とで解釈の違うことは、異文化コミュニケーションにはよくあることだ。それは、どちらも、相手のメールを自分の文化の中で解釈するからである。ところが、やっかいなことに、人はその作業を全く無意識の裡にやってしまう。文化が人をつくるのだから、それは自然の成り行きだ。そのために、文化を共有しない読み手にとっては、「あれ?」ということが時々起きる。

たまにこんなことがあっても、マリーさん、鈴木さん、田中さんの3人は、気持ちの良い仕事仲間である。文化の違いは、国際ビジネスにはあって当たり前だ。それでも大丈夫、文化の違うお互いを受け入れようとする開かれた心を、めいめいが持っているならば。そういう気持ちが意思疎通の擦れ違いを柔らかく補いながら、徐々に互いの理解を深めて行くのだ。

掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2012年5月号