3月8日は国際婦人デー

3月8日は国際婦人デー、今年は週明けの月曜日です。昨夜のスイスのテレビニュースでは、ジュネーブ出身で、スイス連邦政府の外務大臣、ミシュリーヌ・カルミーレイ氏をゲストに迎え、ジュネーブ州の女性の選挙権獲得50周年を記念する行事が開かれたことを伝えていました。

ジュネーブ州で、婦人の参政権が認められたのは、1952年。スイスで一番早い州でした。同じニュースで女性が最初に参加した投票の様子も放映されていましたが、当時のアナウンスがさも大変なことのように伝えていたのには、時代の変化を感じました。

ただ、スイスの女性が全員参政権を持つまでには、1972年まで待たねばなりませんでした。連邦制、つまり自治権を持つ州の連合国家であるスイスでは、女性の選挙権も各州で決定する事項だったのです。それを審議したのは男性だけ。当時議員になれるたは、男性だけでしたから。女性の参政権の歴史はまた、男性の人権に対する考え方の進歩を反映しているのでしょうね。

今日、3月7日のフランスの国際ラジオ放送RFI (Rdio France Internationale)では、特集番組を組んでいました。番組の中で、シモーヌ・ヴェイルがフランスで初の女性の厚生大臣になったのは1974年、そう遠い昔ではないことを知り、意外でした。

世界で最初に女性が参政権を得たのは、ニュージーランドで、1893年です。この国は、世界で最初に電気通信の完全自由化を法制化した国でもあります。きっと、ニュージーランドは、開かれた社会なのでしょうね。

日本女性が参政権を得たのは、1945年。今の憲法第24条に男女の平等が盛り込まれたからです。それを実現するために、大変なご苦労をされたのが、ベアテ・シロタ・ゴードンさん。GHQ憲法草案作成委員36人のうち、ただ一人の女性として、女性の人権を日本の新憲法に盛り込むため、粘りに粘った逸話は、長い間知られていませんでした。いま、彼女の自伝でその時の模様を読むと、自然と感謝の念が湧き起こります。

そのベアテさんが、今週ロンドンにいらっしゃいます。ロンドン大学東洋・アフリカ研究所(SOAS)や、オックスフォード大学で、ドキュメンタリー映画「ベアテの贈り物」の上映と共に催されるシンポジウムに参加されるのです。歴史の証人ベアテさんがどんなお話しをされるのか、とても楽しみです。

世界各国の女性が選挙権を得た年は、ここに纏められています。ご参考にどうぞ!

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人権理事会で今の日本を垣間見る

今日(日本時間2月26日)、日本の朝のテレビニュースで、私の取材した、日本の人種差別撤廃政策の審議のニュースが報道されました。現在ジュネーブでは、国連人権理事会の一部である、人種差別撤廃委員会が開かれて、各国の政策レビューが続けられているのです。Aテレビ局のウェブサイトでそれを観られてラッキー!原稿は東京におられる本職の記者さんが、私の纏めた会議要旨などを元に書かれました。ビデオは、私が前日伝送したものを、上手に編集してありました。

プロって凄いですね。自分が現場にいなくても、私の会議レポートを元に、手際よく要点を掴んでニュース原稿にしてしまう。要点を掴むスピードの大切さを学びました。こういう世界もあると思って、新鮮な感覚で見ています。

この委員会、日本がなぜ、強い経済力と尊敬される文化を持ちながらも、国際社会のリーダーになれないでいるのか、その理由が自ずとわかるような体験でもありました。 日本は色々な意味で、幸せだったのです。日本の外では、今も国内の民族が争うことの続いている国が多いのが、現実です。日本は、その痛みを殆ど経験しないで今までやってこられたのでした。 文化の多様性を認め合おう、尊重し合おう、違う文化を持つ人々と、対等に付き合おう、という意識が世界の潮流となった今、日本にも、国内に住む、異なる文化、言葉を持つ人々の存在を、しっかり認める時が来たと思います。

そういう、豊かで深い内容を、1-2分の限られた時間で報道することには、やはり無理が出ます。報道は、人権委員会での議論を伝えるというよりも、そういう国連と日本との関わりを、少しでも多くの方の気に留めて頂くことが出来れば、成果はあったとしなければならないのでしょうね。

この会議には、日本から、多くの人権関係のNGOの方たちが、傍聴に来ておられました。皆さんは、英語で資料を作成し、人権委員のメンバーとも話し合いをしたそうです。日本のNGOは、このような国際的活動をするまでに、成長したのですね。

また、政府代表団、NGOの双方に、何人もの女性が、リーダー、中核として参加しておられました。これは嬉しい変化です。かつて私も公私の国際会議に何度も参加しましたが、女性は私一人か、または本当に少数でしたから、これは社会の大きな進歩です。 私にとっては、仕事として、こういう会議を傍聴できたのは、とても幸運でした。

会話は情報検索メディア—IGF周辺で見た知恵

インターネット・ガバナンス・フォーラム(IGF) 出席のため、昨年11月、エジプトに行った。思えば、エジプトに行くのは、ずっと以前、大学の先輩をカイロに訪ねて以来、23年ぶりだった。その当時、ここは貧しい国に見えた。今はどうだろう。トランジットで寄ったカイロ空港の、明るくて、近代設備の整った姿を見た時、きっとこの国も豊かになったのだ、と思った。

けれども、目に見える建物からは見えてこない、なかなか変わらない、エジプトの社会もまたあることに、程なく気づく。

今でもエジプトでは、情報というものは、人との会話の中に最も豊かにあるのではないだろうか。書いたモノよりも、ましてやウェブよりも、人との会話から情報を見つけ出すこと、その点は23年前も今もあまり変わっていないように思えたし、それがまた、人と人との関係の密な社会の様子を垣間見せているようで、ちょっと嬉しくもあった。だって、隣室の同僚とコーヒーを飲みに行くのに、メールを出して誘う社会なんて、味気ないじゃないですか。

例えば、その日の会議が終わって、ホテルに戻る参加者のためにシャトルバスが何台も、国際会議場前の車寄せで待機している。そこには、会場から羊の群れのようにぞろぞろ出てくる参加者に、行く先のホテルによって、どのバスこのバス、と案内する人たちがいる。で、私も彼らの言うことを聞いて、指示されたバスに行く。念の為、運転手に、XXホテルに行きますか、と聞くと、行かないという。ここで驚いてはいけない。そのとなりのバスに行き、また尋ねる、「XXホテルに行きますか?」。今度は運良く、行く、という返事。そのバスのフロントガラスに張ってある行く先表示に、私の行きたいXXホテルの名は無い。でも、怯える必要はない。紙に書いた情報なぞ、ここではあまり意味がない。運転手本人が、行くと言ったら、行くのだ。これほど確実なことはない。

これを似たことは、空港でも、ホテルでも経験した。たった二日間の滞在だったが。

紙に書いたもの、ましてや、ウェブサイトなんていう、不確実なモノを信じて良い、どこかに書いてある通りのことが、現実にも起きる社会に長く暮らしていると、どうもここら辺の勘が鈍る。私はいつから、目の前に想起する事実でなく、紙に書いてあることが現実でも起こるべきだ、と思うようになってしまったのだろうか?

翻って考えると、こういう国の指導者は大変だ。エジプトのムバラク大統領は、こういう人々に、情報化社会でネット空間をスイスイ泳ぎながら生きていく教育と力を付けさせなければならないのだ。大統領のお人柄については何も知らないが、きっと演説が上手い方だろうと想像する。紙に書いてあろうとなかろうと、まず、自分の耳で聞いて、その場で、自分で確かめることが原則の社会。政策もリーダーシップも、国民にしっかり伝えるには、徹頭徹尾、耳から伝えることだろうと、想像する。

この国の、看過できないレベルの非識字率が、そういう社会を形成した背後事情にあるかも知れない。漸減してはいるもののエジプトの非識字率は国民全体で約30%。女性だけなら40%、二人に一人だ。ちなみに、世界平均は推定値、20%。情報交換するのに文字に頼れなければ、会話の重要性が格段に増す。そういう社会は、E-Commerceと称して、ネットに平気でクレジットカード番号を打ち込み、航空券や本など買っている私の生きる社会とは、どうしても大きな隔たりがあると感じざるを得ない。

また、どうもこの国の人たちは、オーガナイズする、ということが苦手なんじゃないか、と思うことが何度かあった。一人一人は一生懸命自分の仕事をしているが、そこに連携がないから、私には、結果の予想が出来ない。

そうなる理由も、分かるような気がする。その場その場で情報を見つけーバスの行く先も情報だー、解決していくことが、最も現実的な情報検索手段である社会、あらかじめオーガナイズしなくても、会話を続けていけば、ちゃんと望んだ結果に行き着く。

ものごとをオーガナイズする、なんていうことは、人々が、ある一定の約束ごとを作り上げ、それを守ること、しかもその状態が安定していつまでも続くと信じられること、そういうことの出来る社会でだけ、あり得るのかも知れないと気づく。

反面、そういう社会に慣らされる分、私はいつのまにか、会話というコミュニケーション手段の豊かさかを忘れていっているかも知れないのだ。

そういえば、と思い出す。23年前、初めてエジプトに来た時、やはり同じようなことを、その時の、未熟で若かった頭なりに考えたことがある。

人の習慣や意識は、23年ではそうそう変わらないのだ。だから、エジプトの社会も、変化している部分も大きいに違いないが、変化に時間のかかる部分もまた大きいのではないかと思う。けれども、その分ここには、ネット社会の成長の裏で希薄になった、人間臭さがある。

本稿は、BHN季刊誌、クロスロードに掲載予定です。

ダボス会議、理想はどこまで現実と折り合うか

今年も、日本のテレビ局A社のリサーチャーの仕事で、World Economic Forum, 通称ダボス会議に行ってきました。仕事は、取材や番組作成のサポートです。

仕事を通じ、世界的に有名なこの会議に参した、何人かの人々の考えに直接、接することが出来たことは、大きな収穫でした。

金融危機から始まった今の世界的大不況、金融規制を抜本的に改革し、二度とこのような不況を繰り返さないためには、横の国際協調が不可欠である。金融規制は、元来国内マターだが、アメリカ、イギリス、日本など、経済力の強い各国がてんでんばらばらな改革を行っては、却って、将来、より大きな被害を招く。世界主要国のリーダーたちは、国際協調を行うべきである、と説く、気鋭のニューズウィーク エディターのFareed Zakaria氏。

国際協調の必要性は百も承知で、自分自身もそれが最善の策だと考えるものの、アメリカをはじめ、主要国が内向きになっている現在、国際協調の議論に時間を費やすよりも、主要国がそれぞれに金融改革に着手すべき、と論じるノーベル経済学賞受賞者、Joe Stiglitz教授。

どちらの方も、高い理想と透徹した知性の持ち主で、私は尊敬しています。が、その二人の見解の、この小さくて大きな違い。そこに気づいて、私は考え込まされました。

今週カナダで始まる、G20.多様な世界を代表するリーダーたちは、国内と国際との間に横たわるこの溝を、どうやって、どれだけ、埋められるでしょうか。

Joe Stiglitz教授の意見は、1 月28日に行われたセッション、After the Financial Crisis: Consequences and Lessons Learnedで、分かり易く述べられています。まったく、素晴らしい方です。

ハイチ地震–養子になった子供たち、ならなかった子供たち

A様、

お変わりありませんか?

A様は、長年、ユニセフの活動にボランティアとして関わっていらっしゃいましたね。最近の、ハイチ地震救済に関する報道を見ていて、A様なら、どうお考えになるかなと思ったことがありました。

ご存知のように、フランスアメリカでは、ハイチの地震で両親や保護者を失った子供たちを、何十人というオーダーで、養子に引き取る家庭をつのっていると報道されています。実際、先週は、フランスに第一陣、30人あまりが到着したと報道されていました

確かに、ただでさえ多かったハイチの孤児、この度の地震で、その数が急増したことは、事実でしょう。そうでなくても貧しい国、ハイチの社会は、そういう子供たちの面倒を見ることは出来ないかも知れません。ですから、孤児になった子供の何人かが、外国の志しある人々に保護され、愛されて育つ環境に移ることができたことは、喜ぶべきことなのでしょう。

けれども、私には、その養子のニュースが、美談だけとは聞こえないでいます。なにかが心に引っ掛かります。

地震後の混乱の中、人道の名の下に、子供たちが、自分の幸せを、自分で判断できないまま、国外に連れ出された、ということもまた、あったのではないでしょうか?

更に、報道されない大きな問題があると思います。それは、ハイチに残った、養子にならなかった多数の子供たちです。怪我をして、顔を傷つけられたり、手足を失った子供たち。病気や、栄養失調の子供たち。その上両親まで失った子供たち。孤児は、報道に出てくるような、愛らしい子供だけではないと思うのです。

外国の里親に引き取られた子供たちには、幸せにすくすく育って欲しいと思います。ただ、テレビやウェブサイトを見ていると、先進国の報道は、自国の善行だけを語っているのではないかと思うのです。その心温まるニュースの反対側にある、報道されない子供たちはどうなっているのかしら、と。性急に里子に出される子供の気持ち、もしかすると生きているかも知れないその親や兄弟姉妹、さらに、里子としての「商品価値」の無い子供たち(いやな言い方ですが、私の意図をお酌み取り下さい)を、だれが守るのか?

子供の人権を守るのがユニセフの使命ですね。そこで、ユニセフのサイトを見ましたが、里子に出される子供の人権のことに、はっきり触れた報道発表は見あたりませんでした。敢えて、近いと思うのが、1月19日付け報道発表の中の、この部分です。ユニセフ、Executive Director, Ms Ann Veneman の言葉です。

UNICEF concerned for the safety of Haiti’s most vulnerable children

Statement by UNICEF Executive Director Ann M. Veneman on the situation of children in Haiti

“These children face increased risks of malnutrition and disease, trafficking, sexual exploitation and serious emotional trauma,” said Ms. Veneman. “The race to provide them with life-saving emergency food and medicine, safe shelter, protection and care is under way.”

今こそ、ユニセフには、先進国の裕福な家庭の人々の善意が届かないところにいる、多くの子供たちに、彼、彼女らが成長していくための手をさしのべることを、期待したいと思います。

寒さの増す東京、お風邪を召されませんよう、お元気でお過ごしくださいませ。

社会起業家の潮流はテレコムにも – ITUテレコムワールド2009

 

昨年(2009年)十月、ジュネーブで ITUテレコムワールド2009が開催された。そこで出会った人々は、先端技術の展示と同じぐらい、印象深かった。

ビクター、自由化をタンザニアに根付かせたい

ビクターは、タンザニアの電気通信規制庁で、国内通信部次長という肩書きを持つ、クルクル動く丸い目が、人なつこい印象を与える人である。私の質問に応えて、タンザニアの自由化された通信市場、急成長するモバイルバンキングサービス等について説明してくれた。そのどれもが大変興味深かったが、特に印象に残ったのは、最後に彼が言った、「いやあ、(自由化も)ここまで来るのは大変だったよ」という言葉である。

ビクターは、当時国有だった電話会社に入社、会社から派遣されて、イギリスに留学、財政学を勉強。その後、一旦タンザニアに戻った後、今度はインドの電気通信規制庁に派遣され、そこで、電話会社の財政を、一ヶ月間、実地に研修した。

彼がイギリスに留学した頃、通信市場自由化は、イギリスでは当然のことだった。ところが、タンザニアに戻ると、電話会社の同僚たちは、「自由化?何を言ってるんだ」という空気、自分は誰にも理解されなかたっという。私も、当時のアフリカ諸国の電気通信政策が、堅固な独占一点張りだったことを知っているので、彼の気持ちは良くわかった。

タンザニアの通信市場は2005年に自由化されたそうだが、タンザニアの場合、法律上の通信自由化と同じ時期に、携帯電話が急速に普及、固定電話に取って代わったことが、政策担当者にも、電話会社にとっても、自由化を受け入れ易くしたのではないかと思う。試しに「固定電話の頃にあなたの職場で仕事をしていた人たちと、今の同僚とは違う人々じゃないの?」と聞いてみると、その通りだという。通信政策担当者も、携帯電話という新しい市場と取り組む、新しい人々に取って代わったのだ。

ビクターは、昔が嘘のようだという。それも、さほど遠い昔ではない。今では、南部アフリカ諸国の電気通信規制担当者同士が、問題点を話し合い、経験を交換する場ができた。彼はそこに出席し、今も研鑽を続けている。

トビアス、自分を信じてリスクをとった

タンザニアのモバイルバンキングサービスについて知りたいなら、この人、と紹介されたのが、トビアス。長身、ダイナミックな若いベンチャー企業経営者。話しをしていても、反応が早くて具体的。

彼がビジネスパートナーと共同経営する会社、E-フルシ アフリカは、タンザニアで最初に、携帯電話用バンキングサービスシステム、モビパワ(MobiPawa)、を作った会社である。今、アフリカで急成長する、モバイルバンキングサービス。銀行口座を持たない、持てない人々が人口の70%を占める社会で、安価で加速度的に増加する携帯電話を使った、少額のバンキングサービスがそういう人々のニーズを捉えた。

とはいえ、5年前にトビアスと仲間たちがモバイルバンキングシステムの開発を始めた時、誰も今のような成長を予測していなかった。資金を貸してくれる人もなかった。それでも彼らは、このサービスは成長すると信じ、自己資金で開発を開始、何度もテストし、利用者の意見を聞いて改良を加え、1年半かかって完成させた。「楽観的でいることさ」とトビアス。「利用者の声を聞くことは、開発に必須」とも。次のチャレンジは、音声応答を使った保健サービスだと言う。

アンヌ、社会事業をビジネスに

アンヌは(写真右側)、ペシネットというNGOを主宰する、 小柄でにこやかな女性で

Pesinet Stand, ITU Telecom 2009

ある。ペシネットの仕事は、ゼロ歳から5歳までの乳幼児を対象に、予防医療サービスをマリの農村に提供すること。この年齢の子供に予防措置をとることにより 子供の死亡率は大幅に減らすことができる。その結果、家庭と政府にかかる医療費負担も減らすことができる。

彼女と話してみて、驚いたことが二つある。

その一は、ペシネットの事業が、収益を上げ、サービス従事者の給料を払うと共に、それを事業の拡充、拡大に使う仕組みを持っていること。つまり、ペシネットはビジネスモデルを持った社会事業である。

ペシネットは、いわば、地域限定の会員制医療保険会社として機能する。ペシネット利用者は、毎月1ユーロの利用料金を払う。ペシネットのサービスを利用する家庭には、訪問員が毎週訪れて、子供の体重、その他の健康状態を記録、その場から、携帯電話記録を使ってデータを地域医療センターに送る。医療センターには医師がいて、子供一人一人の健康データをモニターする。病気の兆候が見られると、すぐに訪問員に連絡、訪問員はそれを家庭に伝え、それを知った両親は、子供を医者の診察に連れてくるのである。その医療費は会員の払った月額利用料で賄う。

更に驚いたことに、ペシネットを立ち上げ、マリの農村でちゃんと機能するようになるまでに至る2年間、アンヌは、別のNGOでフルタイムで働いて生活費を得ていたという。NGOであれ、一つの事業体を立ち上げるのは、たとえ給料を払われなくても、それ自体がフルタイムの仕事である。関連する政府機関、各種団体との折衝、ファンドの申請等、無数にある仕事のどれもおろそかに出来ないし、時間がかかる。それを、フルタイムの仕事の傍ら続けてきた!「あの時は、夜も週末もなかったわ。ずっとペシネット立ち上げの仕事をしていた。」と、アンヌはにこやかに語る。

私が、社会企業(Social Entrepreneurship)、社会起業家 (Social Entrepreneur)という言葉を初めて聞いたのは、今年初めだった。トビアスやアンヌのような人々に出会い、その意味が、今、分かってきたように思う。チャリティーでなく、それがビジネス、収益を上げながら、社会に役立つことを事業として運営する。そして、そういう人々が活動できる環境を支えるのが、ビクターのような人々なのだ。自分の信じることを事業に、その事業をビジネスに。それは、義務でなく、自己実現としてのビジネス。通信はそういう生き方を選ぶ人々の役に立っている。

この原稿は、BHNテレコム支援協議会の機関誌、「クロスロード」第37号に寄稿したものです。

人と社会に根付く情報通信技術 ― ITUテレコムワールド2009

もう10月のことになりますが、今年のITUテレコムワールド2009の展示会に三日半たっぷり通い詰めました。色々な人と話し、色々なモノを見てきました。その時に考えたことを、皆さんにもご紹介しようと思います、

原稿は、情報通信技術を人道援助や人材育成に役立てる活動を行うNGO, BHNテレコム 支援協議会のメールマガジン、11月5日号に寄稿したものです。

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10月5日から9日まで、ジュネーブで ITUテレコムワールド2009が開催されました。今回は、私にとっては4度目の訪問でしたが、ITUテレコムワールドは大きく変わりました。 “人と社会に根付く情報通信技術 ― ITUテレコムワールド2009″の続きを読む