良いものはシェアしようーー欧州ICT社会読み説き術 (21)

欧州原子核研究機構(European Organisation for Nuclear Research、CERN)は、スイスのジュネーブ郊外に位置する、世界最大規模の素粒子物理学の研究所である。専門家でなくても、ここにあるLHC (The Large Hadron Collider、大型ハドロン衝突型加速器)を聞いたことのある読者もおられるかもしれない。また、今年の(2013年)ノーベル物理学賞を、「ヒッグス粒子」の理論を提唱した2人の物理学者、フランソワ・アングレール名誉教授(ベルギー)と、ピーター・ヒッグス名誉教授(イギリス)が受賞したが、その関連で、日本でもCERNの功績が報道されたようだ。

こう言うと、門外漢には取り付く島のない場所のように思える。ところが、CERNは社会との繋がりを育てることにも熱心だ。日常生活から遠いところにありそうな最先端の物質科学研究所でありながら、CERNはどうやって地域社会、一般市民と繋がるのか?9月最後の週末、7万人が訪れたという恒例の一般公開日に、筆者はCRENを訪問してみた。(写真1)

CERN所長、ロルフ・ホイヤー氏が見学者たちにLHCの説明をする。(写真提供 CERN)

写真 1 CERN所長、ロルフ・ホイヤー氏が見学者たちにLHCの説明をする。(写真提供 CERN)

創設の目的は宇宙創生の解明

1954年、CERNは、欧州12カ国により創設された。当時、第二次大戦の痛手から立ち直りつつあった欧州の願いを反映し、「平和のための科学」を育てる場として期待を担った。現在では、日本、アメリカ、ロシアなど、世界の主要国がオブザーバーとしてCERNの研究に参加している。

CERNの研究テーマは、 物質の起源を理解すること。平たく言うと、138億年前に起きた、「ビッグバン」の直後に何が起きたかを解明することだ。そのために、物質誕生の過程を実験で再現することが必要となる。その設備が、LHC だ。

LHCは、全長27km、地下140mの位置に造られた円形加速器(いわばトンネル)で、スイスとフランスの国境を横断、二国にまたがる巨大なループだ。

異なる領域にまたがるのは国だけではない。研究テーマが宇宙創生の解明なので、その領域は素粒子科学、宇宙工学と宇宙論にまでまたがっている。つまり、人類を超え宇宙を相手に仕事、、、とにかく壮大なのだ。

その研究のために、35箇所の実験・研究設備が、スイス、フランス国境を挟む、雑木林と牧場の拡がる地域に点在している。(写真2)

写真 2 雑木林と牧場に囲まれた研究施設。(写真撮影、筆者)

写真 2
雑木林と牧場に囲まれた研究施設。(写真撮影、筆者)

ICT発展に大きく貢献

CERNはまた、情報化社会に必須の技術の誕生した場所でもある。

その代表はWWWだろう。ウェブは、1989年、当時CERNに在籍していたティム バーナース・リー(Tim Berners-Lee)氏が考案した技術だ。当初の目的は、個々の研究室内に蓄積された情報を、研究室の壁を越え、相互利用し易くすることだった。

グリッドコンピューティングも、CERNで誕生した。現在グリッドは欧州、北米、日本など、世界150箇所の計算機センターを繋ぎ、10万台のプロセサーを擁する。以前、この連載で紹介したBOINC(2012年3月号、“ICTでボランティアの巻”)もグリッドコンピューティングの一形態である。その開発チームとCERNは交流があるが、それは偶然ではない。

何でも世界最高

筆者はLHCに接続された加速器を見学した。ここでは、素粒子に巨大な加速度を付けて真空の管の中に送り込むため、多様な技術、設備とそれを扱う専門家が働いている。

例えば、LHC内部は真空で、温度は絶対零度に保たれている。冷却設備に整然と並ぶ数百の小さなバルブ!こんな設備を日々調整する技術者は、きっと冷却技術の高度な専門家に違いない。

ここではすべてがこの調子なのだ。

世界最先端の研究をするために必要な実験設備を作る。その必要性が、研究を支える人材や設備に、数々の世界一や発明を生む。

例えば、超伝導。LHC内部は超伝導の状態にある。そのために、内部の温度を絶対零度に保つ必要がある。そのために、CERNには130トンのヘリウムガスが貯蔵されている。それは、世界一の貯蔵量である。

WWWも、グリッドコンピューティングも、研究の必要性から生まれた。

このように、CERNという先端科学研究所で誕生したイノベーションが、利用者ニーズから発したところが面白い。技術が先ではないのだ。

上質な情報提供で社会と繋がる

CERNは、社会に対して大変気前がいい。世界最先端の素粒子物理学を支える、世界一、世界唯一の上質な設備を惜しげもなく公開するうえ、それを説明してくれるのが、一級の専門家ばかり。つまり上質な情報提供だ。その説明がまた、素人にも分かり易い。例えば、こんな具合に;「LHCの中に素粒子を送り出すために、30万キロワットの電場をつくります。携帯電話の電力は一つ1ワットです。比べてみて下さい。」

説明はすべて二つの言葉で行われる。自然科学の主流言語である英語と、地域の言語であるフランス語だ。

CERNはまた、高校の物理教師育成を目的とした研修を行なっているが、これは参加者に好評という。日本からは2009年から佐賀県が参加、毎年1名ずつ派遣しているそうだ。

その立地も興味深い

CERNの一般公開は、物理の苦手な筆者にも、科学の面白さ、楽しさが、頭でなく、心に響く内容だった。そして、良いものを積極的に世に出すこと、人々に広く理解して貰うことの大切さを、強く感じさせられた。理解はやがて共感や興味に繋がり、多くのファンを作り出して行くだろう。

CERNは国連並みに国際的でありながら、田園地帯に立地していることも面白い。先端科学機関のこのような在り方は、日本の地方都市にとり、国際化を通した地域発展の在り方として、参考になるのではないだろうか。

掲載稿はこちら→ 2013 欧州ICT社会 読み解き術 第二十一回、NTTユニオン機関誌「あけぼの」2013年 11月号に掲載

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