高級時計メーカーの携帯電話って?ー 欧州ICT社会読み説き術 (14)

スイスの時計産業

スイスの時計産業は、17世紀頃にジュラ地方で起きた家内制精密機械工業に端を発し、現在に至るまでスイスの主要産業の座を占めてきた。過去何十年もの間、スイスの時計生産量は、世界中で生産される時計の総数のほぼ半分を占めていたほどである。近年の世界的な不況にも拘わらず、スイスからの時計輸出額は過去2年間で32%増加、2011年だけでも輸出額は193億スイスフラン(約2兆円)にのぼる(資料:スイス時計協会)。

ジュネーブはスイス時計産業最大のビジネスの場だ。毎年1月に開かれる、国際高級時計見本市 (SIHH)はその象徴である。SIHHはジュネーブ空港に近い見本市会場で行なわれる大規模なもので、世界中からバイヤーなど時計関係者が集まる。時計に興味のある人なら誰もが知るような、ロレックスやオメガなどの有名ブランドがズラリと出展し、集まる人々は商談に励み、また今年の流行の行方に目を光らせるという。入場は関係者のみの招待制だ。

SIHHと同じ時期に、ジュネーブではもう一つの時計見本市、ジュネーブ タイム エグジビション(GTE)が開かれる。こちらは、SIHHよりも遥かに小規模で、また誰でも入場できる、開かれた展示会だ。ここに出展するのは、いわば保守本流を行く大ブランドとは一線を画した、ユニークなメーカーが多い。

この伝統ある時計産業に、情報化社会は、どのような表われ方をしているのだろうか?筆者はGTEを訪問し、その様子を垣間見てみた。

今どきではない携帯電話

まずここにある2枚の写真をご覧ください。

携帯一体型の時計、写真:セルシウス社

携帯一体型の時計、写真:セルシウス社

精密機械部品のギッシリ詰まった高級時計が、開閉式携帯電話機の蓋の外側に組み込まれている。近年大流行の、軽やかで薄型のスマホを見慣れた筆者の目には、この電話機はいかにも大型で重そうに見えた。そのうえ、携帯電話機の形態は、もうはやらなくなった開閉式。第一、電話機はスマホでもない。なぜだろう?

製造したセルシウス社(本社フランス)の共同設立者でCEOのアンドレ氏に話を聞いた。

「携帯電話機部分は、フランスの軍事機器メーカー、サジェム社製。軍事機器を製造する技術で作られた携帯電話だから、丈夫で長持ちする。」

「開閉式にしたのは、時計のねじを巻く力をシェルの開閉から与えるため。この技術で、セルシウス社は特許を取った。シェルを一度開閉するごとに、時計に2時間分動く力をチャージすることが出来る。」

欧州ICT社会 第十四回 写真2 06 Celsius X VI II - LeDIX Origine Open

Celsius X VI II – LeDIX Origine、電話機部分、写真:セルシウス社

「携帯電話はあえてスマホにせず、電話をかける、主要電話番号を登録するなどの、電話としての基本機能のみに絞った。時計技術には何世紀もの伝統がある。このように長続きしているのは、時計の基本技術が確立しているからだ。携帯電話も同じだ。しっかりした基本技術があれば、それは長く使われ、機械としても長い生命を保つことができる。アプリは古くなるかも知れないが、電話をかけるという基本機能は不変だ。」

「実用向けとしては重いかも知れないが、本来、この製品は機械式時計を愛好するコレクター向け。だから、重さは問題ではない。」

これはまさに、何世紀にも亘って磨き上げてきた機械式時計という、モノ作りの世界からの発想だ。セルシウス社の目に叶う携帯電話とは、何世紀にも亘って使われる時計と共に生きていくものでなければならない。携帯電話機と合体させてはいても、その電話機部分は時計産業の基本に忠実に作られているのだ。伝統ある高級時計に、情報化社会の申し子である携帯電話を合体させるという遊びの精神と、機械式時計の基本精神との見事な共生。まさに、高級時計の面目約如ではないか。

伝統とは進化し続けること

スイスの機械式高級時計のコンセプトには、時代と共に進化するということも含まれている。高級時計財団(所在地ジュネーブ)という、高級時計の産業団体のマニフェストにはこう謳う:

「高級時計」とは、知識やノウハウという「文化」そのものです。 高級時計技術は長年の伝統の産物ですが、伝統に囚われることなく、未来に向けて進化し続けなければなりません。

伝統とは、常に進化し続けることでもある、という精神に注目したい。それこそが、スイスの機械式時計が危機を乗り越えて、パームトップコンピューティングの世の中になっても愛され、生き続ける続ける一つの理由ではないだろうか。

翻って、ICT産業を考えると、どうだろう。ICTは、産業自体が、機械式時計に比べると遙かに若いので、伝統の部分はまだ弱く、未来に向かって進化する方向のみが非常に強いのは当然だろう。だから、携帯電話機に対するセルシウス社のような発想は、ICTの世界からはなかなか出にくいのもうなづける。しかし、世界の何処かには、こんな哲学のもとに、高度な技術を駆使してモノ作りを続けている産業があると知っておくことも必要ではないだろうか。

掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2013年3月号

掲載原稿はこちら→ 2013_あけぼの_ICT_第十四回

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