ネットが繋がるのは奇跡! — 欧州ICT社会読み説き術 (9)

ある火曜日の夜、突然に

きょうも何事もなくネットが繋がり、私はメールやウェブを見ている。この当たり前のことは、実は奇跡だと、最近気がついた。

ある火曜日の晩、自宅のネットが繋がらなくなった。朝は何でもなかったのに。モデムの配線をつなぎ替えたり、電源を入れ直してみたりして、自分の分かることを試した。結果は同じ。

まあいいさ、静かな時をもてるわと、一度は喜んでみた。おりしも北国の初夏。外では早朝、深夜に小鳥が美しい声でさえずっている。家にいるときぐらいは、キーボードから頭を上げ、自然の恵みに耳を傾けようではないか。

だが実際には、わたしの暮らしぶりがどんなにネット漬けか、良くわかる結果となってしまった。

我が家からネットが無くなり、メールの送受信はもちろん、音楽や日本や世界のニュースをポッドキャスティングで聴く、ブログを書く、フェイスブックやツイッターを覗いて、友人の消息や、世の空気を知る・・みんなフイと消えた。不便だ。ストレスは高まるばかり。

ヘルプデスクに助けを求めたが

翌朝、私の使うISP,グリーン社のヘルプデスクに電話した。

グ社のデスク氏「当社のシステムは正常です。おかしいな、、わかった、あなたのモデムが動いてないと、当方のスクリーンに出ています。」

え、わたしのせい?モデムは2-3年前に替えたばかりだというのに。そりゃ、早すぎないかい?

デスク氏「2-3年?古いですね。とにかく、当社の原因ではありません。回線を提供するスイスコム(スイス最大の電話会社。日本のNTT東、西に当たる)にそっちの原因を調べて貰うか、あなたのモデムを取り替えて下さい。」

またこれだ、“自分のせいじゃない”。こうして原因先送りの堂々巡りの始まり始まり。この件も迷宮入りか、、と気が重くなったとき、思いがけない言葉を聞いた。

デスク氏「あ、いけない。きのう、当方がVDSLに変えたんだった!あなたのモデムは、ADSL専用ではないですか?」

冗談じゃないよ!わたしはVDSLに変えてなんて、頼んでない。

わたしには高速モデムよりも、常に動くサービスが必要なんだ!

そういえば3週間前、突然仰々しいモデムがグ社から届いた。頼みもしないのにヘンだと思い、グ社に電話して訳を聞いた。ただ繋げばいいだけです、とヘルプデスクのお兄さんは答えた。ただし一週間以内につなぎかえを終わらせてください、と。

だけど、その時彼は、グ社がもうすぐVDSLに替えるだなんて、一言も警告しなかったぞ。

実際、その時わたしは新しいモデムに繋ぎ換えを試みた。うまくいかない。止めた。古くていいから、今ある安定したモデムがいい。

ところが、グ社の方でVDSLに変更してしまったとわかった今、私が自力でモデムを替えるほかない。ネット断絶状態も我慢の限界に来ていた。金曜夜、遅く帰宅したにもかかわらず、再びモデム接続を試みる。

判りにくい説明書を見ながら、1時間。ついに接続成功。一気にストレスがすとんと落ちた。その爽快さ。我ながら、自分のストレスがここまで大きかったことに驚いた。

さて、その原因は、、

このVDSLへの変更の件は、誰からも何の事前連絡もない、青天の霹靂だったので、後日その理由を改めて調べて見た。

すると遠因は、スイス連邦政府の加入者回線高速化政策にあるとわかった。スイス政府は加入者線の光ファイバー化(FTTH, Fiber to the home)を2008年以来進めてきた。その際、スイスコムなどの通信設備保有者や、ISPなどのサービスプロバイダとの競争が公正に行われるよう、連邦通信委員会(The Federal Communications Commission, ComCom)が主導して通信企業を集めて協議会(Round Table on fibre networks)を発足させて、回線へのアクセス条件、技術標準など、細かいルール作りを行なってきた。

その一連のルール作りと、現実の設備変更が進行した結果、我が家にタダでVDSLモデムが配られ、わたしがうかうかしているうちにネット接続回線はADSLからVDSLに変わり、それを知らなかった私には、ネット断絶が起きたのである。

ICT大衆化時代のチャレンジ

今回のささやかな経験から、ICT大衆化時代の課題が幾つか浮かび上がるように思う。

まず、ICT提供者(事業者、政策担当者)と利用者との間に意識のずれがあること。利用者にとり、ネットは 暮らしのインフラなのだから安定供給が第一。他方、ICT提供者は、回線速度が最も重要と考える。利用者にとっては、安定・安心あっての速度である。サポートどころか予告もなく、頼みとするISPにADSLからVDSLに変えられて、ネット断絶となり、あわてるのは利用者だ。

二番目は、ネット社会の利用者サポート。ネットが暮らしのインフラになり、だれでもがネットを使うようになると、それに比例してサポートは手薄になる。そういう社会では、街のICTヘルプの必要性が増しているのではないだろうか。ICTの使い方を知っていても、その仕組みにも機器にも明るくない個人利用者は大勢いると思う。そういう人々を対象にした、個人利用者向けICTヘルプサービスへのニーズは、大きいと思われる。

ICT大衆化時代のヘルプはかゆいところに手が届かなければならない。現在のような、現場に行かない、電話とメールだけを使ったヘルプデスクサービスにはどうしても限界がある。大変お恥ずかしいことだが、私の場合、つなげばいいだけ、と電話でいわれたモデムを、一回でちゃんとつなげなかった。後から判ったことだが、原因は、私のモデムの回線分岐器具が、説明書にある図解とは違う位置にあったためだった。そして私には、それを一目で見抜けなかった。

理屈では単純なことでも、個々の現場を見なければ判らないことは、ICT環境にもたくさんある。技術には強くても、現場を知らない人々が、電話でアドバイスをするだけの体制では、時には、利用者はお手上げになってしまうことがあるのだ。

ネットの故障には必ず原因がある。他方、ネット接続には、設備提供者、サービス提供者、機器製造メーカが介在する。そのため、ネットに故障があった場合、誰にも簡単には原因が判らない。利用者は、ネット接続に関わるいくつもの事業者の間を綱渡りして歩いているようなものだ。そんな状態でありながら、日々ネットが繋がるのは奇跡である。

ICT大衆化時代を迎え、私のようなネット漬けの生活を送る人は大勢いると思う。そういう社会で、個人利用者向けICTヘルプサービスは、大きなビジネスチャンスとなったのではないだろうか。だれかこのビジネスで、大成功して見せてくれないかな。

掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2012年7-8月号

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誰でもアクセスできるウェブ — 欧州ICT社会読み説き術 (8)

情報化社会のCSR

情報化社会が成熟すると、それに呼応して企業には新たな社会的責任 (CSR, Corporate Social Responsibility) が生まれる。その一つが、企業のウェブサイトを誰にでもアクセスしやすく、情報の探しやすいものに作ること、つまり「ウェブ アクセシビリティー」の向上である。

ウェブサイトは情報化社会に不可欠なインフラといえる。だからウェブサイトの主要な製作者である企業には、誰にでも使いやすいサイトを作る責任がある。それは、ある企業が自社のお客様だ、と考える人々(例えばパソコンを買いたい人)だけでなく、ウェブを使う人誰でもに対する責任である。そこには当然、従来どちらかというとウェブになじみの薄かった人々、身体障がい者や、例えば高齢の利用者も視野に入れなければならない。

個々の企業が、自社のウェブサイトを誰にでもアクセスし易いものにすれば、世の中の情報インフラの質は、飛躍的に向上する。これは丁度、地球温暖化の進行を食い止めるために、個々の企業が二酸化炭素排出量を自主的に削減することと似ている。企業が、地球の環境に責任を負うように、情報環境の向上に貢献することが情報化社会のCSRである。

ウェブ アクセシビリティー(WA)

ウェブ アクセシビリティーは、概念であるだけでなく、具体的な標準(つまり、広く合意された決めごと)を伴う技術である。その標準は従来、ウェブ アクセシビリティーに関心のある人々が集まって自主的に作成した事から始まった(Web Accessibility Initiative, WAI)。それが技術的に優れていること、他に比肩する技術標準が無いことも相俟って、今では、約20カ国で技術標準として採用されるまでに至り、事実上の国際標準となった日本でもJISが主体となって日本に合うように補足された標準が作成されている (JIS X8341)。

スイスのWA

筆者は最近ジュネーブで開かれた、WA セミナーに参加する機会を得て、州政府、ウェブ作成者、推進団体など、実際にスイスでWA推進に携わる人々の生の声を聞いた。

スイスでは、連邦法 (身体障がい者法、2004年成立)により、すべての公共機関は、そのウェブサイトが、WAIの定めたAAレベルを満たすことを義務づけられている。

ここでいう公共機関の範囲は広い。政府機関は、連邦、州、市町村に至るまで、すべてが対象となる他、ラジオ、テレビ局、スイスポスト(郵便と貯金)、スイス国鉄、主な都市の市営交通など公共目的の企業体も同様の義務を負う。

WAの向上は、良いことではあるが、現実問題として、実行に向かって弾みをつけるのが案外難しいことも事実だ。そこで、WAの向上を促すため、スイスでは、政府や、公共企業のウェブサイトの評価を行ない、その結果を公表している。評価を行うのは、「Access for all」(アクセスを誰にでも)という団体である。現在、2011年版の評価測定報告書が公表され、無料で配布されている

この報告書は良くできていて、評価を受けた各機関のサイトの良い点、改善点、参加機関のランキングが図解入りで分かり易くまとめられている。各機関に対する講評も分かり易い。実際には参加機関には、これよりもずっと詳細な評価結果が知らされていることと思うが、私は、この報告書をアクセシビリティー推進の手段として注目したい。このように評価結果が公表されれば、各機関は競争せざるを得なくなるだろう。また、アクセシビリティというまだなじみの薄い概念について、人々の関心を集める効果もある。

ニーズに合わせることこそ重要

Access for allでは盲人がアクセシビリティー測定チームに参加している。その評価方法も興味深い。テストを行なう盲人のコルシウロ氏は、一例として、「僕が盲導犬を飼うには、行政側に対しどのような手続きが必要か?という問いにウェブサイトは答えられるかどうかを見ます」と語った。実際の課題に役立つか、というこのような視線は、アクセシビリティー技術を実際の場で生かすために不可欠である 。

アクセシビリティー向上をと言われ、ともすれば、技術標準どおりやっているから合格、と考えるウェブ製作者もいるかもしれない。しかし、アクセシビリティーの目的は、それを切実に必要とする人がウェブサイトを実際に使って、目的を達することを可能にすることだ 。技術は大切な一歩だが、アクセシビリティーは、最後はその利用者の意見を組み込んで、完成させなければならない。スイスにその体制が出来ていることは、役に立つアクセシビリティーを実現するための地に足の着いた手段として、評価して良い。

ラスト1マイルの利便向上を

「それでも」、とコルシウロ氏は語る。多数の公共機関のウェブ アクセシビリティー向上は徐々に進んでいるが、彼が利用者として見ると、その動きはまだ点の状態だという。

たとえば、ウェブサイトのアクセシビリティー評価は、五つ星で満点のチューリヒ州。毎年の収入申告という複雑な作業も盲人がウェブでできる。ところが、その後がいけない。行政手続きとして、インプットの終わったページをプリントアウトし、サインして、税務署に郵送することになっているのだ。目が不自由な人が、すべて一人で行うには、難しい作業ではないか!

チューリヒ州の名誉のために断っておくが、最後の1マイルの不便は、どの機関、団体にもあるだろう。

ウェブサイトのアクセシビリティー向上は、現代社会の情報環境の大きな前進である。けれども、ウェブサイトの利用は、何かをするための一連の動作線上にある大切な一部だが、それだけで目的を達することは出来ない。ウェブへのアクセシビリティーの向上が、ウェブを含む一つの目的を持った行動のプロセス全体のアクセシビリティー向上に繋がることを期待したい。

掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2012年6月号