価値観の違いを学んだ痛い経験ー国際交渉の現場から(5)

価値観が逆の世界を知る‐カナダ留学、トロント大学、1982年9月から1984年6月 —— その2

痛い経験

前回、カナダでは日本とは価値観が逆転することを沢山学んだと述べました。それを物語る、今でも忘れられないエピソードを一つ。

カナダに到着して一ヶ月、アパートも見つけ、大学生活にも習慣が生まれ始めた10月末のこと、思いがけないきっかけから、「たたかう(闘う)」ということを学びました。

暴力やいさかいのことではありません。他の人との間に何か問題が起きたとき、自分を前に、前に、押しだして、問題の解決を図るという、そういう生き方、人生に取り組む姿勢です。

事の起こりは、トロントで最初に住んだアパートで起きた停電でした。

私の借りたアパートは、古い大きな家の最上階。ふっくら大きなカーブを描いて下におりるマンサード屋根、それがそのまま天井の形になっていました。カナダに来たばかり、新参の私には、とてもロマンチックに見え、そんなアパートを見つけられて嬉しかった。家主は、その家の持ち主で、一人暮らしのおばあさんというのも、なんとなく良いと思いました。

それが大変な思い違いだとは、世間知らずのお目出度い外国人の私に、わかるはずもありませんでした。

10月も終わり頃になると、気候が変わって急に寒くなってきました。本格的な寒冷地で暮らしたことのない私には、とても寒く感じられ、これから冬に向かうと思うと、不安が募ってきました。

ところが、アパートの暖房は不十分なようです。ラジエーターを調べると、温度調節のためのノブがついていました。そこを捻って温度を上げたとき、停電が起きました。

家主のおばあさんに知らせると、彼女はえらい剣幕で怒ります。自分で勝手にノブをいじるなと。私は、謝りましたが、部屋が寒いので温度を上げるように頼みました。彼女は、まずブレイカーを元に戻し、それから私のアパートに上がってきて、ラジエーターを調整しました。

それでも室内の寒さは続きます。困った、困った、と友人に話すと、真冬の気温が零下20度台まで下がることが珍しくないカナダでは、アパートの暖房を適正温度に保つのは(何度が法定最低温度だったかは忘れたが)、大家の義務だと教えてくれました。

ある週末の夜、部屋がとても寒くなりました。わたしもいつまでも暖房の温度を上げてくれない大家のおばあさんに、腹を据えかねました。そして自己解決のため、ラジエーターのノブを捻りました。

再び停電!

階下に降りておばあさんの住むフロアのドアをノックするも、返事がない。彼女は家にいるはずだけど?!居留守を使っているに違いない。

私のアパートは真っ暗。どうしよう、、、。

その当時、トロントにたった一人、日本人の友人がいました。彼女に助けて!と電話しようと思いつきました。カナダ生活の長い、ようこさんなら助けてくれるだろう。きっと、自分の家においでと言ってくれるだろう、、。

真っ暗な中で、手探りで電話のダイヤルを回す。その頃の電話機は、ロータリー式、電話機の表面に円盤が着いていて、そこに1〜0までの数字に対応する穴が10個開いている、その穴に指を入れて円盤を廻す、あの昔の電話機です。私はと言えば、真っ暗で、ダイヤルの数字さえ見えません。仕方ないから、ダイヤルに沿って番号の穴を順に右回りに指で辿り、右端の穴を見つける。それが数字の1です。そこから、1,2,3,と数えて、各穴に対応する数字を知る。それを七回繰り返して、やっと、ようこさんの電話番号を廻し終えました。

電話に出たようこさん、「たたかいなさい」。

え?

「 警察を呼びなさい。冬に、アパートの店子のために暖房を入れないのは、カナダでは犯罪よ。」 「あなたは、外国人でカナダに来たばかり。カナダの様子がわからないときにこんなことになった。暖房が無い上、電気を止められ、私は困り抜いている。私は被害者と、警官に力説せよ。」

家においでどころか、警察を呼ぶんだってぇ?

けれども、私に驚き、あきれている余裕はありません。家は真っ暗、寒いうえに、外は夜。再び、ダイヤルを指で辿って、警察に電話しました。

駆けつけた警官に、私は、困り抜いている、被害者の新参外国人として訳を話しました。

後日、その家は出ました。こんないじわるばあさんの家に住んでいては、安心して勉強できない。

カナダ社会では、一人暮らしのおばあさんというものは、概して他人に対して警戒心が強い。だから、外国人の店子など嫌がるものだということも、後から知りました。

これが、日本とは価値観の逆転した外国に住むための、最初の試練でした。私がこの一件から学んだこと、それは、日本人がするように、へりくだって、自分から引いて、和解を求めていては、自分の問題を解決できない、ということです。解決はその逆方向にある。自分を押しだし、自分の意見を言い、自分の立場を主張せよ!

今、ヨーロッパに来て20余年。私は、そのほとんどの間を、日本社会からも、日本語からも、ましてや日本企業からも、離れて生きてきました。それでも、闘う、自分を前に、前に、押し出す力がまだ弱い、と、ことある毎に思います。今まで私の上司になった人々からは、「あなたはもっと自分の意見をハッキリ言いなさい」と言われてきました。日本で働いていた時には、「あなたはものをハッキリ言い過ぎる」と言われてきた私が、です。

自分を前に押し出せないのは、日本社会で生まれて育った私の中に、しっかり組み込まれた精神なのかなと思います。人は、その住む環境や、文化に適応して生きて行くものです。外国に住むということは、自分の変化するプロセスを生きることでもあります。ゆっくり変わりながら、それでも私は、ヨーロッパでは自己主張の弱い人、反対に日本では、それの強い人でい続けるんだろうな。

この記事は、ICBウェブサイトに連載されています。

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