メールの運ぶ日本文化 — 欧州ICT社会読み説き術 (7)

ビジネスでは、Eメールは不可欠のコミュニケーション手段だ。今回は英語のビジネスメールを切り口に、日欧のコミュニケーションに潜む、意思疎通の擦れ違いを取り上げよう。

日本人が、英語でビジネスメールを書く場面は急速に増えているようだ。こういう現象は国際化への道のりだけれど、過渡期には苦労もあるのが世の常。英語でのビジネスに慣れていない世代の人々には、ご苦労も多いと思う。自分は国内ビジネスだけの会社だと思って入社した。それが20年経ってみたら、会社は外国企業との買収、提携に乗り出した。そのため自分にも、英語を使う社内メールや、社内会議は珍しくなくなってしまった、、という述懐が、ポロリとこぼれるのもうなづける。

それでも、日本人会社員は良くやっていると思う。英文のビジネスメールも、習うより慣れよ、が上達の秘訣なのだろう。

文は人なり、というが、文は文化なり、でもあると思う。欧州目線で見るとき、日本人の書く英文ビジネスメールには、日本文化が現れていることに気付くからだ。

例えば、「ノー(No)」の言い方である。

何かを否定する際、例えば断り状などで、日本語では「ノー」と直裁には言わない。それを言うときは、よくよくの強いノーを言う必要があるときだけだろう。

ノーをハッキリ言うことを避けるのは、日本の文化である。それは言葉の先にいる相手を傷つけないための、繊細な配慮なのだ。逆に言うと、相手に明快に「ノー」と言われると、日本人は傷つく。日本の「ノー」は、言った相手の人格まで否定しかねないほどの強い言葉だからだ。

そういう繊細さは、日本人の書く英文ビジネスメールにも、ごく自然に織り込まれている。メールを書く人は心をこめて、日本語人でない相手に英語で返事を書く。だからこそ、明快に「ノー」を言わないのだ。

これが日本語による、日本人同士のメールなら、それはりっぱな大人の教養である。

ところが、メールの相手が文化の違う人だと、勝手が違う。日本人とは違う思考回路を持つ人々にとり、「ノー」を明確に書かないメールはわかりにくい。そこに、小さいけれども、文化の根本的な違いが顔を出す。

最近、こんなことがあった。

欧州人のマリーさんは、東京出張を前に、彼女の会社の日本法人の鈴木さんに、同業B社の人で、鈴木さんもよく知る田中さんとのアポイントを頼んだ。実はマリーさん自身も、田中さんご本人を直接知っている。けれども、そこは異文化コミュニケーションをわきまえている彼女、敢えて日本法人の鈴木さんを通したのである。

アポイントの設定は、初めは問題なく行くかに見えた。ところが、鈴木さんとメールのやり取りをするうちに、マリーさんには、田中さんに会う日が火曜か水曜か、どうもはっきりしなくなってきた。そこで、マリーさんは、鈴木さんにメールを書いた。

以下のやりとりは、実際にはすべて英語で行われたものを、日本語に直してある。

マリー「親愛なる鈴木様、B社の田中様に、火曜日か水曜日、どちらの日がご都合がいいか、ご確認をお願いします。」

鈴木「マリー様、田中様には、アポイントのお願いをいたしました。田中様は、火曜日から水曜日までお忙しいそうです。」

マリーさんには、 鈴木さんの答えがイエスかノーか判らなかった。彼女はイエス、ノーをハッキリ言う欧州文化の人である。反面、日本人ほどには相手の内心を察する習慣が無い。相手の言いたいことを無言のうちに読み取って先回りするのではなく、相手の言葉を待って、自分の次の対応を決めるのが彼女の文化だ。

田中さんはお忙しい?では、今回は田中さんとはお会いできないのかしら?けれども、鈴木さんはアポイントをお願いしてあると言うし。それとも、先方は時間調整中で、その返事待ちかしら?

そこでマリーさんは一計を案じ、直接田中さんにメールを書いた。

マリー「親愛なる田中様、次回の日本出張の折には両日ともお忙しいため、お目にかかれないと伺いました。またの機会を楽しみにしております。」

こう書いて、田中さんからの返事が「はい、そうなんです。残念ですが今回は見送らせてください」なら、ノー、「いえいえ、私は水曜日に時間を作るようただいま社内で調整中です。すみませんが、2-3日お待ち下さい。」ならイエス、とわかるからだ。

ところが、翌日届いた田中さんの返事は、たった一言。

田中「マリー様、日本の春と、しゃぶしゃぶをお楽しみ下さい!」

鈴木さんと田中さんは、最後までマリーさんにノーと言わずに、ノーを判ってもらった。これは日本文化である。

英語を共通語にしていても、その書き手と読み手とで解釈の違うことは、異文化コミュニケーションにはよくあることだ。それは、どちらも、相手のメールを自分の文化の中で解釈するからである。ところが、やっかいなことに、人はその作業を全く無意識の裡にやってしまう。文化が人をつくるのだから、それは自然の成り行きだ。そのために、文化を共有しない読み手にとっては、「あれ?」ということが時々起きる。

たまにこんなことがあっても、マリーさん、鈴木さん、田中さんの3人は、気持ちの良い仕事仲間である。文化の違いは、国際ビジネスにはあって当たり前だ。それでも大丈夫、文化の違うお互いを受け入れようとする開かれた心を、めいめいが持っているならば。そういう気持ちが意思疎通の擦れ違いを柔らかく補いながら、徐々に互いの理解を深めて行くのだ。

掲載: NTTユニオン機関誌「あけぼの」2012年5月号

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